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【福島から#24】 山間へ、いつか帰る道

東日本大震災

【福島から#24】 山間へ、いつか帰る道

更新 sty1803020009
林道にあるバリケード。この先に佐山梅雄さんの自宅がある=2018年2月12日、福島県南相馬市小高区 林道にあるバリケード。この先に佐山梅雄さんの自宅がある=2018年2月12日、福島県南相馬市小高区
佐山梅雄さんの自宅内 =2018年2月12日、福島県南相馬市小高区 
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佐山梅雄さんの自宅内 =2018年2月12日、福島県南相馬市小高区 フルスクリーンで見る 閉じる

 東京電力福島第1原発事故による避難区域の大部分が解除された福島県南相馬市小高区。住民が「山麓線」と呼ぶ県道34号相馬浪江線が南北に走る阿武隈山地の裾野では、作付けが未定ながらも耕運された農地が広がり、少しずつではあるが住民の帰還が進んでいる。小高区金谷の集落で犬と散歩している老婦人に尋ねた。
 「この先に住んでおられた方をご存知ですか」
 山麓線から西へ折れた先、阿武隈山地には南相馬市に残る帰還困難区域がある。
 老婦人は自宅へ案内してくれた。「家族での付き合いだったから私たちも心配しているの」
 夫と携帯電話を取り出した。
 「梅雄君、元気にしている、お母さんの具合はどう」
 電話の先は佐山梅雄さん(60)。母のヒサさん(83)と避難の末、南相馬市原町区に中古住宅を購入し移住した。佐山さんと会う約束をした。

佐山ヒサさんが避難前まで運転していた4輪駆動車 =2018年2月12日、福島県南相馬市小高区
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佐山ヒサさんが避難前まで運転していた4輪駆動車 =2018年2月12日、福島県南相馬市小高区フルスクリーンで見る 閉じる

 佐山さんに案内してもらう。山間の林道を進む途中、バリケードを開けると帰還困難区域。この道は江戸時代、福島県浜通りと中通りを結ぶ交易の街道だった。浜からは塩、魚。中通りの福島市、川俣町からは農産物や絹織物を積んだ馬車が行き交っていた。麓の集落から4キロ、標高360メートル、南相馬市小高区金谷字小畑に佐山さんの自宅がある。この先、峠を越える道は倒木などで塞がっているという。佐山さんの先祖はこの峠を前にした街道で茶屋を営んでいた。
 「市内で一軒だけの帰還困難区域だから忘れられているのかな」
 一階は農林業のための場所。二階が居住場所、イタチやネズミなどの小動物に荒らされている。自宅の除染計画は定まっていない。国、県、市から帰還に向けての話はない。原発事故直後、自宅周囲地上1メートルで20マイクロシーベルト超だった空間放射線量は、現在約5マイクロシーベルトまで低減している。
 佐山さんは全国の発電所で配管、バルブなどの修繕、保守点検の作業に従事してきた。東日本大震災発生時は福島第2原発の地下、海水面より低い場所にいた。作業は中止となり楢葉町の事務所からの帰宅途中に思っていたことがある。

山間の地、佐山梅雄さんが愛する地 =2018年2月12日、福島県南相馬市小高区
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山間の地、佐山梅雄さんが愛する地 =2018年2月12日、福島県南相馬市小高区フルスクリーンで見る 閉じる

 「原発、少々の事では事故は起こさないだろう」
 4.6ヘクタールの農地と5ヘクタールの山林を自宅周囲に所有する。農地は荒れ放題となり原野化している。兼業で稲作、畜産、林業を行っていた。森林組合で40年間働いていた母のヒサさんは避難生活が始まってから体調がすぐれないが、佐山さんが時々一緒に連れて帰ると生き生きとする。
 麓の集落も若い人が戻ってこない。金谷集落の消防団、青年団、婦人会の行く末を心配する。祭りはどうなってしまうのだろうか。
 「町場での生活は性に合わない」

 佐山さんは話す。山羊、鴨、アヒル、鶏、牛、犬、猫、大好きな動物たちに囲まれていた。春には手入れした花が咲き乱れていた。

 小学生時、雪が積もると自分一人だけ臨時休校となった。不便さは感じなかった。

 いつかこの地に帰りたい。

 「生まれ育った場所だから、山での暮らしが好きだから」

** 井沢雄一郎(フリーランス写真記者:1969年9月生まれ 福島県在住)

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