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命懸け空撮 支えたヘリ操縦士が… 飛行歴39年の北川一郎さん

東日本大震災

命懸け空撮 支えたヘリ操縦士が… 飛行歴39年の北川一郎さん

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東日本大震災当日(2011年3月11日)、みちのく号が空撮した映像。住宅火災が起きた宮城県名取市閖上地区(国土交通省提供) 東日本大震災当日(2011年3月11日)、みちのく号が空撮した映像。住宅火災が起きた宮城県名取市閖上地区(国土交通省提供)

 「上がるぞ」

 東邦航空東北事業所(宮城県岩沼市)の整備士、保科正尚(55)は2つ下の相棒の肩をたたいた。

 格納庫で待機するヘリコプターのプロペラが揺れている。最大震度7。収容口のシャッターが落ちた。

東日本大震災当日(2011年3月11日)、みちのく号が空撮した映像。水没した仙台市の特別養護老人ホーム(国土交通省提供)
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東日本大震災当日(2011年3月11日)、みちのく号が空撮した映像。水没した仙台市の特別養護老人ホーム(国土交通省提供)フルスクリーンで見る 閉じる

 管制塔は退避した。離陸許可を求めても「自己判断でやってください」という答えが無線を通じて返ってくるだけだ。

 待ってました、とばかりに相棒は操縦席に乗り込んだ。

 平成23年3月11日午後3時20分、保科と操縦士の北川一郎らの搭乗する国土交通省東北地方整備局の防災ヘリコプター「みちのく号」が仙台空港(岩沼市、名取市)を飛び立った。

東日本大震災当日(2011年3月11日)、みちのく号が空撮した映像。滑走路が冠水した仙台空港(国土交通省提供)
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東日本大震災当日(2011年3月11日)、みちのく号が空撮した映像。滑走路が冠水した仙台空港(国土交通省提供)フルスクリーンで見る 閉じる

 津波が押し寄せる。

 家をのみ込んだ。窓越しに人の姿が見える。家は1回転し、バラバラの木材になった。人影はもうない。

 車が渋滞で立ち往生している。背後に迫る波にドライバーは気づいていない。

 「逃げろ!」

 北川が叫ぶ。声は届くはずもない。車は波に消えた。

 「俺たちは何もできない」

 操縦桿(かん)を握り、うなるようにつぶやく。

東日本大震災当日(2011年3月11日)、みちのく号が空撮した映像。水素爆発の起きる前の東京電力福島第1原発(国土交通省提供)
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東日本大震災当日(2011年3月11日)、みちのく号が空撮した映像。水素爆発の起きる前の東京電力福島第1原発(国土交通省提供)フルスクリーンで見る 閉じる

 任務は上空からの状況把握だ。映像に収め、地上の災害対策本部に送信する。

 任務は遂行した。

 人は助けられない。

 無力感が機内を支配する。

 仙台空港は滑走路が冠水した。飛行機は模型のように隅に追いやられている。

 みちのく号は代わりの着陸地を探し、午後5時50分、福島空港(福島県須賀川市、玉川村)に降り立った。

 映像は消防、警察に伝えられ、人命救助に生かされた。メディアを通じて世界に配信されている。

報道写真にも貢献

 北川は八尾事業所(大阪府八尾市)に所属する。文字通り全国を飛び回り、あの日も出張で東北に来ていた。

 飛行歴39年。総飛行時間は1万時間を超す。飛行履歴を記録するフライトロゴブックは15冊を数える。

1995年1月17日、阪神大震災で橋脚が崩れ横倒しになった阪神高速神戸線 =神戸市東灘区深江本町(本社ヘリから、川村寧撮影)
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1995年1月17日、阪神大震災で橋脚が崩れ横倒しになった阪神高速神戸線 =神戸市東灘区深江本町(本社ヘリから、川村寧撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 伝説のヘリコプターパイロットで名が通る。

 垂直に切り立つ岩壁で左右を挟まれた谷間をすり抜ける。プロペラと壁の間は10メートルに満たない。機体を空中で制止させ、谷底に滑落した登山者を引き上げた。

 平成5年9月に長野県の北穂高岳で北川の見せた山岳救助飛行は語り草になっている。

 報道写真にも貢献した。

 阪神大震災(7年)で横倒しになった阪神高速道。福岡空港ガルーダ機離陸事故(8年)で燃え上がった機体。紀伊半島を水浸しにした台風12号豪雨(23年)。

 北川の機体からカメラマンが撮り、新聞の1面を飾った写真は十指に余る。

 「望遠は何ミリ?」

 北川はカメラマンにレンズの焦点距離を尋ねる。それに適合するポイントまで高度を下げ、被写体との間合いを詰める。

 「空撮は北川さんに教わったようなものだ」

1996年6月13日、福岡空港で離陸に失敗し炎上したガルーダ・インドネシア航空機(本社ヘリから、川村寧撮影)
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1996年6月13日、福岡空港で離陸に失敗し炎上したガルーダ・インドネシア航空機(本社ヘリから、川村寧撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 何度も撮影飛行を共にした産経新聞写真報道局の川村寧(49)は言う。

 人柄は穏やか。

 若手操縦士を指導する時は違った。

 「きっちりやらんとお前死ぬど。人の命預かってること忘れたらあかん」

 苦言の矛先は上司にも。

 「操縦士の育成にもっと時間を割くべきですわ」

 歯にきぬ着せぬ物言いで社長に意見する姿を見掛けた同僚は少なくない。

 本社運航部長への昇進を打診されたことがある。操縦部門のトップに立つ。

 「ありがたい話ですが、遠慮させてもらいます」

 偉くなるより現役を貫く道を選んだ。

操縦不能、緊急着陸試みたが…

 北川には消したくても消せない思い出がある。

 14年1月、長野県の鹿島槍ケ岳で山岳パーティー4人が遭難した。北川はレスキュー隊を兼ねる同僚男性=当時(54)=と現場に飛ぶ。

 同僚が機体から垂らしたロープで降下し、救助ネットに4人を乗せて引き上げた。折からの強風にあおられて同僚が転落し、命を落とす。

 北川は自分を責めた。

 「お前のせいやない」と会社の仲間に慰められても罪悪感は薄まらなかった。

 北川はそれから毎年、同僚の命日に墓参を重ねた。

群馬県上野村で墜落した東邦航空のAS332L型ヘリコプター「スーパーピューマ」(機体番号:JA9672)
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群馬県上野村で墜落した東邦航空のAS332L型ヘリコプター「スーパーピューマ」(機体番号:JA9672)フルスクリーンで見る 閉じる

 昨年11月8日。

 北川ら4人の乗るJA9672号は午後2時3分、山梨県早川町を離陸した。物資輸送の業務を終え、目的地の栃木県に向かう。

 〈14時03分に離陸。搭載燃料1100キログラム〉

 同12分、北川から無線連絡が入った。いつもの落ち着いた声だった。

 それから18分後。

 同機は群馬県上野村の橋の上に墜落した。

ヘリコプターが墜落、炎上した現場周辺を調べる警察官ら =昨年11月9日、群馬県上野村(福島範和撮影)
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ヘリコプターが墜落、炎上した現場周辺を調べる警察官ら =昨年11月9日、群馬県上野村(福島範和撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 墜落前に上空でUターンしたことが確認されている。機体の異常を察し、引き返そうとしたようだ。地上にグラウンドを見つけ、緊急着陸を試みたが、ゲートボール中で断念。次の候補地を探す途中に力尽きた。

 炎上して焼け焦げた機体から車輪が出ていた。操縦不能になりながらも機体を立て直して不時着を模索した跡がうかがえる。

 生涯一操縦士は60歳で人生の幕を閉じた。同乗の3人も22歳、27歳、50歳で帰らぬ人となる。

東邦航空のヘリコプターが墜落、炎上した現場で機体の一部を運ぶ警察官ら =昨年11月9日、群馬県上野村(福島範和撮影)
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東邦航空のヘリコプターが墜落、炎上した現場で機体の一部を運ぶ警察官ら =昨年11月9日、群馬県上野村(福島範和撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 北川のフライトロゴブックが遺品として会社から妻(52)に届いた。14冊だった。最後の1冊は持ち主とともに空に散る。

 保科は北川の死を受け入れられずにいる。

 事故原因は運輸安全委員会が調査中だ。保科は操縦ミスでないと確信する。空中で尾翼が吹っ飛んだのが目撃されている。機体トラブルの可能性が大きい。

 事故の2週間前、保科は出張先の青森市で北川と飲んだ。

 「また一緒に飛ぼう」

昨年11月、ヘリの事故で亡くなった操縦士の北川一郎さん
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昨年11月、ヘリの事故で亡くなった操縦士の北川一郎さんフルスクリーンで見る 閉じる

 それが保科の聞いた最後の言葉だった。

 昨年12月、北川らの社葬が東京で営まれた。

 保科は献花台に歩を進めた。

 視線の先で遺影がほほえんでいる。

 今度は俺がお前の墓参りを続ける番だ。=敬称略
(文・東北特派員 伊藤寿行)
 

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