産経フォト

【歴史写真館#1】 真珠湾攻撃 よみがえる記憶

ニュース

【歴史写真館#1】 真珠湾攻撃 よみがえる記憶

更新 sty1712070012
日本軍による真珠湾攻撃。第2波攻撃で爆撃後、ヒッカム飛行場上空を飛ぶ九七式艦上攻撃機。空母「瑞鶴」の艦載機とみられる=1941年12月7日(現地時間) 日本軍による真珠湾攻撃。第2波攻撃で爆撃後、ヒッカム飛行場上空を飛ぶ九七式艦上攻撃機。空母「瑞鶴」の艦載機とみられる=1941年12月7日(現地時間)

 1941(昭和16)年12月7日(日本時間8日)の真珠湾攻撃から76年を迎えるにあたり、老舗軍事雑誌の月刊「丸」が所蔵する攻撃時の写真を、産経新聞写真報道局が最新技術で画像処理し、細部まで分かるようにデータベース化した。真珠湾に停泊する米戦艦群を攻撃する日本海軍の攻撃機や、魚雷が命中した際に噴き上がる水柱、爆発炎上して黒煙に包まれる米戦艦などが鮮明に写し出されている。写真を解析することで、戦史研究が進むことも期待できそうだ。

◆◇◆

日本軍による真珠湾攻撃。炎上して沈没する戦艦「アリゾナ」=1941年12月7日(現地時間)
画像を拡大する
日本軍による真珠湾攻撃。炎上して沈没する戦艦「アリゾナ」=1941年12月7日(現地時間)フルスクリーンで見る 閉じる

 76年前-、日本海軍の空母6隻から飛び立った180余機の攻撃機、爆撃機、戦闘機を率いる飛行総隊長、淵田美津雄は、眼下にハワイ・オアフ島の米海軍基地をみて打電した。
「ト・ト・ト(全軍突撃セヨ)」
 時に1941(昭和16)年12月7日午前7時49分(日本時間8日午前3時19分)。日米開戦の火蓋を切る、真珠湾攻撃である。
 世界の軍事史上、まれにみる奇襲成功となった攻撃の様子は、日米両軍が撮影した複数の写真によって明らかだ。

日本軍による真珠湾攻撃。第一波攻撃隊の猛攻をうける米主力艦群。「オクラホマ」には魚雷命中の水柱が立ち上がっている=1941年12月7日(現地時間)
画像を拡大する
日本軍による真珠湾攻撃。第一波攻撃隊の猛攻をうける米主力艦群。「オクラホマ」には魚雷命中の水柱が立ち上がっている=1941年12月7日(現地時間)フルスクリーンで見る 閉じる

 米戦艦群に向けて九七式艦上攻撃機が降下し、低空飛行で魚雷を投下する。真珠湾は水深が浅いため魚雷攻撃は至難とみられていたが、米戦艦の舷側で噴き上がる水柱は、不可能を可能にした日本の兵器開発力とパイロットの練度の高さを雄弁に物語っている。
 雷撃隊に続き、急降下爆撃隊が250キロ爆弾を、水平爆撃隊が800キロ爆弾を投下。米戦艦の甲板を貫通して艦底で炸裂し、火薬庫などに引火して大爆発を起す。濛々たる黒煙が上空を覆い、真珠湾は文字通り、地獄と化した。

日本軍による真珠湾攻撃。大爆発する駆逐艦「ショー」
画像を拡大する
日本軍による真珠湾攻撃。大爆発する駆逐艦「ショー」フルスクリーンで見る 閉じる

 2波にわたる攻撃で米軍に与えた損害は戦艦4隻撃沈、4隻中大破、戦闘機など約230機撃破…。米太平洋艦隊を壊滅状態とする大戦果だ。
 一方で写真は、日本軍の“戦略ミス”も写し出していた。オアフ島上空を飛行する攻撃機の下方に見えるのは、450万バレルの重油が貯蔵された燃料タンク群だ。ここを爆撃すれば太平洋における米軍の作戦行動が長期にわたり制限され、その後の戦況に影響を与えたのではないかとする論争は現在も続いている。
 軍事雑誌「丸」編集部では昭和23年の創刊以来、先の大戦をはじめ旧陸海軍の史料写真を収集してきた。所蔵数は日清戦争からおよそ4万枚、真珠湾攻撃だけで200枚近くに上る。

日本軍による真珠湾攻撃。空母「赤城」を発艦する零戦=1941年12月8日(日本時間)
画像を拡大する
日本軍による真珠湾攻撃。空母「赤城」を発艦する零戦=1941年12月8日(日本時間)フルスクリーンで見る 閉じる

 こうした写真は従来、専門誌に掲載されることはあっても、一般紙が大量に取り扱う機会は少なかった。しかし今年11月、「丸」を刊行する潮書房光人社(現潮書房光人新社)を産経新聞出版が子会社化したことで、産経新聞への転載が可能になった。
 産経新聞出版と産経新聞では、「丸」が所蔵する写真を貴重な財産ととらえ、産経新聞写真報道局の最新技術でデジタル化するとともに、フォトアーカイブを構築する。紙面に随時掲載し、今後の研究などにも役立てることにした。
 「丸」の室岡泰男編集長は「従軍した将兵や家族から直接提供された、ほかにはない写真も少なくない。掲載写真をみた読者から新情報が寄せられることもあり、より多くの人の目に接することで、戦史研究が進むことを期待したい」と話している。(川瀬弘至)

スゴい!もっと見る

瞬間ランキングもっと見る

話題のランキング