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恭仁宮の大極殿規模推定 隣接建物の柱穴見つかる

遺跡・建造物

恭仁宮の大極殿規模推定 隣接建物の柱穴見つかる

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発掘された朝堂院の柱穴。左奥に大極殿院があったと思われる=5日午後、京都府木津川市(奥清博撮影) 発掘された朝堂院の柱穴。左奥に大極殿院があったと思われる=5日午後、京都府木津川市(奥清博撮影)
発掘された朝堂院の柱穴(北側から南側を望む)=5日午後、京都府木津川市(奥清博撮影)
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発掘された朝堂院の柱穴(北側から南側を望む)=5日午後、京都府木津川市(奥清博撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 奈良時代に聖武天皇が造営した恭仁宮跡(京都府木津川市)で、役人が儀式などを行う朝堂院の塀の柱穴が見つかり、府教育委員会が5日、発表した。隣接する国家儀礼を行う区画の大極殿院の南限付近に当たる。調査結果から、大極殿院は南北約215メートル、東西約145メートルの長方形だったと推定できるという。

 府教委によると、今回見つかった穴は五つ。約3メートル間隔で並んでおり、朝堂院の北端の柱跡と考えられる。担当者は「大極殿院は、遷都前の平城宮のものと似た長方形の形状をしていた可能性がある」としている。

 恭仁宮跡には南から北に上がる高低差があるが、調査から、大極殿院内の建物の大極殿を壮麗に見せるために地面を高くした「龍尾壇」である可能性も強まった。

 恭仁京は740年、平城京から遷都し、4年後に廃都となった。

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