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【なかなか遺産】使ってなんぼ 娯楽の“殿堂” 森文旭館

遺跡・建造物

【なかなか遺産】使ってなんぼ 娯楽の“殿堂” 森文旭館

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正面から見ると3階建ての洋風建築のようだが、実際は木造平屋の一部2階建ての「森文旭館」 =愛媛県内子町(門井聡撮影) 正面から見ると3階建ての洋風建築のようだが、実際は木造平屋の一部2階建ての「森文旭館」 =愛媛県内子町(門井聡撮影)
今月10日に開催された映画祭「八名信夫&高倉健 映画祭2017」。大勢の人でにぎわった =愛媛県内子町(門井聡撮影)
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今月10日に開催された映画祭「八名信夫&高倉健 映画祭2017」。大勢の人でにぎわった =愛媛県内子町(門井聡撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 江戸や明治の面影が残る愛媛県内子町。白壁の商家が立ち並ぶ町並みを抜けると、少々異質な建築物が姿をあらわす。中央に張り出すバルコニーは洋風のイメージだが、木枠の窓は町屋の香りがする。入り口には「赤穂浪士」や「丹下左膳」など、古い日本映画のポスターがびっしり貼られ、そこには“和”の雰囲気が残る。「森文旭(もりぶんあさひ)館」-。平成27年に「ゆうゆう系」として「なかなか遺産」第2号に認定された。

昔の映画館をイメージして、壁を埋め尽くす古い映画などのポスター =愛媛県内子町(門井聡撮影)
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昔の映画館をイメージして、壁を埋め尽くす古い映画などのポスター =愛媛県内子町(門井聡撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 旭館は大正15年、町内の商店主ら11人が7000円の資金を出し合って建設した。舞台を備え、芝居も上演されていたが、次第に映画専門になったという。

 正面に立つと、重厚な3階建てに見えるが、裏に回ればトタンに瓦屋根という質素な作り。3階部分に目をこらすと薄い壁1枚の“ハリボテ”の上に六角形の櫓(やぐら)が乗っている。

 建物の正面だけを漆喰(しっくい)などで装飾し豪華に見せた「看板建築」という手法だそうだ。大正から昭和初期にかけて流行したという。

3階に見える部分は、実は薄い壁しかない。正面からは豪華に見える「看板建築」だ =愛媛県内子町(門井聡撮影)
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3階に見える部分は、実は薄い壁しかない。正面からは豪華に見える「看板建築」だ =愛媛県内子町(門井聡撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 現在、旭館を所有するのは、昔ながらの味噌(みそ)や醤油(しょうゆ)を作り続ける「森文醸造」だ。社長の森秀夫さん(70)にとって、発起人の1人だった祖父と通った思い出の場所でもある。

 「3、4歳の頃に初めて見たのは無声映画。弁士が台をバンバンとたたきながら、物語をすすめ、クライマックスのチャンバラでは太鼓の音が響いてすごい迫力」と当時を語る。

 だが、テレビなど娯楽の多様化で昭和43年に閉館を余儀なくされた。最後に上映されたのは「黒部の太陽」。

映画祭で、上映を前に披露された太鼓の演奏 =愛媛県内子町(門井聡撮影)
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映画祭で、上映を前に披露された太鼓の演奏 =愛媛県内子町(門井聡撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 その後、同社の倉庫として使用していたが、老朽化が進み取り壊しも選択肢にあがった。それでも祖父たちが建て、地域の人たちが映画を楽しんだ思い出の場所。傷んだ個所を修理し、映画館として再開することになった。

 平成25年から始めた映画祭は年2回のペースで続く。「使うことが残すことにつながる。重要文化財のような制約もないし」と笑う森さん。入場料が保全の資金になっている。

 スターの看板がズラッと並んでいたという昔の映画館にならい、使ってなんぼの「なかなか遺産」の壁には、いまも映画のポスターが増え続けている。(写真報道局 門井聡)

なかなか遺産のプレート =愛媛県内子町(門井聡撮影)
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なかなか遺産のプレート =愛媛県内子町(門井聡撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 【なかなか遺産】世界遺産や重要文化財ほどではないが、見る人を「なかなか!」とうならせる「なかなか遺産」。「ながなが系」や「ずらずら系」など6つに分類される。「ゆうゆう系」は、時代の変化に伴い地域の最先端からひそやかな存在になりながらも、悠々とあり続ける建物。 

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