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「東京おでかけ日和」激動の時代感じる紀尾井坂 江戸城防衛の要・喰違見附

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「東京おでかけ日和」激動の時代感じる紀尾井坂 江戸城防衛の要・喰違見附

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 土塁の間をジグザグに折れ曲がった道が通る「喰違見附」=東京都千代田区  土塁の間をジグザグに折れ曲がった道が通る「喰違見附」=東京都千代田区
 今も城門の石垣が残る赤坂見附跡=東京都千代田区
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 今も城門の石垣が残る赤坂見附跡=東京都千代田区フルスクリーンで見る 閉じる

 東京都港区の赤坂見附駅。駅名の由来は江戸時代に付近にあった見張り付きの城門で、北西にある喰違見附とともに、現在でも遺構の一部を確認できる。明治初期には、紀尾井坂周辺で新政府高官の襲撃が相次ぎ、激動の時代を感じられる場所でもある。

 喰違見附の構造や歴史を解説した説明板=東京都千代田区
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 喰違見附の構造や歴史を解説した説明板=東京都千代田区フルスクリーンで見る 閉じる

 国道246号沿いで目を引く立派な石垣が、赤坂見附跡だ。江戸城の主立った城門は、石垣で四角く囲った空間をつくり、その側面に二つの門を直角に配置する「枡形門」の形式で造られていた。侵入者を見張るための櫓などは失われているが、残った石垣の長さを見ても、大きな門だったことが分かる。

 大久保利通の死を悼む石碑=東京都千代田区
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 大久保利通の死を悼む石碑=東京都千代田区フルスクリーンで見る 閉じる

 600メートルほど離れた喰違見附に足を運ぶと、ずいぶん趣が異なっていた。石垣はなく、土を固めた土塁に挟まれて、ジグザグに折れ曲がった細い道が通る。こちらは枡形門よりも古い「喰違虎口」と呼ばれる構造の出入り口。外堀の中でも標高が高く、江戸城防衛の要として、他より20年ほど早く築造された門なのだという。
 明治維新後の1874年、当時赤坂に置かれていた仮皇居から退出し、自宅に向かっていた岩倉具視が喰違見附の付近で切り付けられ、軽傷を負った。その4年後には時の内務卿だった大久保利通が、やはり赤坂の仮皇居に向かう途中、喰違見附の手前で襲撃を受けて命を落としている。

 喰違見附から続く紀尾井坂。大久保利通が暗殺されたのは、角を右に折れた先の清水谷だった=東京都千代田区
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 喰違見附から続く紀尾井坂。大久保利通が暗殺されたのは、角を右に折れた先の清水谷だった=東京都千代田区フルスクリーンで見る 閉じる

 大久保の暗殺事件は「紀尾井坂の変」として知られるが、実際に彼が倒れた場所は紀尾井坂から一つ角を折れた清水谷だった。現場近くには大久保の死を悼んで高さ約6メートルもの石碑が建てられ、後に周囲一帯が清水谷公園として整備された。現在では住民の憩いの場となっている。

 釣りやボート遊びが楽しめる弁慶堀=東京都内
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 釣りやボート遊びが楽しめる弁慶堀=東京都内フルスクリーンで見る 閉じる

 【メモ】赤坂見附と喰違見附の間には、水をたたえた弁慶堀があり、ボート遊びや釣りが楽しめる。

赤坂見附界隈の略図 ©産経フォト・柴野犬子
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