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330人を救った高野会館 南三陸町・佐々木真さんが見た「あの日」

東日本大震災

330人を救った高野会館 南三陸町・佐々木真さんが見た「あの日」

更新 sty1603110002
取り壊されずに残っている「高野会館」屋上に立つ佐々木真さん。すぐそばには公立志津川病院があり、津波でベッドに寝たままの患者が流されていくのを見たが「どうすることもできなかった」と話す =宮城県南三陸町(植村光貴撮影)  取り壊されずに残っている「高野会館」屋上に立つ佐々木真さん。すぐそばには公立志津川病院があり、津波でベッドに寝たままの患者が流されていくのを見たが「どうすることもできなかった」と話す =宮城県南三陸町(植村光貴撮影) 

 かさ上げ工事が進む宮城県南三陸町に、ぽつんと残された結婚式場「高野会館」。5年前のあの日、この会館は避難した約330人の命を救った。この建物周辺では、現在かさ上げ工事が進み、すぐ近くには県有化が決まった防災対策庁舎がある。当時、町の社会福祉協議会の職員だった佐々木真さん(44)は、この会館で行われていた老人会を担当していた。

防災対策庁舎はパニック状態

 午後2時46分、3階ホールでは地元の老人クラブの歌や踊りの発表会が行われ閉会式の最中だった。大きな揺れと同時に停電、真っ暗に。会場にいたお年寄りはパニック状態になった。

取り壊されずに残っている高野会館 =宮城県南三陸町(植村光貴撮影)
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取り壊されずに残っている高野会館 =宮城県南三陸町(植村光貴撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 地震や津波の情報が分からず、佐々木さんはすぐに車に飛び乗り町の防災対策庁舎に向かった。

 数分で庁舎に着くと職員が慌ただしく動き回ってパニック状態。町職員に「高野会館に350人います!」と大声で叫んだが、聞いてもらえる状況ではなかった。

 その時、突然「3時10分、6メーター」と男性が叫ぶ声が聞こえた。

大津波で多くの家屋が流された宮城県南三陸町中心部。写真中央部にあるのが高野会館や志津川病院などの建物 =2011年3月12日午後3時5分(本社ヘリから、門井聡撮影)
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大津波で多くの家屋が流された宮城県南三陸町中心部。写真中央部にあるのが高野会館や志津川病院などの建物 =2011年3月12日午後3時5分(本社ヘリから、門井聡撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 まだ間に合う。急いで会館へ戻った。道路は内陸部に向かう車で込み始めていたが、逆走するように会館へ。「俺だけ海方向。えっ、これってやべんじゃねいか」。会館に着いたのは午後3時5分だったのを記憶している。

 その時、会館ではすでに4階屋上への避難誘導が始まっていた。元漁師だった会館の営業部長が海を見ると、海面が大きく下がっていたため、「大きな津波が来るはずだ。外に出たら危ない」と判断していたためだ。会館職員や佐々木さん、社協職員らが避難誘導している最中、大津波が襲った。波は最上階の4階付近まで達した。

屋上にヒラメが飛んできた

 会館のすぐ近くには公立志津川病院がある。

 「津波の引き潮の時、4階の扉か窓からか、ベッドごと流されていく人を見た。その人が助けを求めるように手を振っていたが、どうすることもできなかった…」。同病院では患者と職員74人が犠牲になっている。

南三陸町の防災対策庁舎(手前)と高野会館(奥) =宮城県南三陸町(植村光貴撮影)
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南三陸町の防災対策庁舎(手前)と高野会館(奥) =宮城県南三陸町(植村光貴撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 体育館の屋根が会館にぶつかってきた。屋上にはヒラメやクロソイが数匹、津波とともに飛んできた。

 会館は津波避難所になっていて近所の人も集まっていた。「第2波(の津波)がきたら、みんな一緒に流れよう」と死を覚悟していた人もいたという。

 会館にとどまっていたのは約330人。4階とその上にある機械室は、すし詰め状態。座ったらそのまま動けない状態だった。

 食料はほとんどなかった。寒さに耐えていた98歳のお年寄りや4歳くらいの子供もいた。苦しい状況の中、あるおばあさんは歌を歌ってみんなに元気を届けていた。

かさ上げ工事が進む南三陸町で、取り壊されずに残っている高野会館 (植村光貴撮影)
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 佐々木さんは、お年寄りから「うちの孫、(佐々木さんの子どもと)同級生だよね。大丈夫だよね」と何度も言われた。

 小学生だった長女・夏蓮さん、長男・礼君はまだ下校時間でなかったので、「大丈夫だろう」とは思っていた。しかし自宅にいたであろう三男・空君、幼稚園に通っていた次男・禅君、妻の由美さんの安否は分からず、「もしかしたら8割方だめかな…」と不安が常によぎっていた。「大丈夫か」と妻にメールは送ったが返信はなかった。

水没の町歩き救助要請へ

 佐々木さんらお年寄りのほとんどの人が一睡もせず、夜が明けた。

 自衛隊や消防などのヘリが現場付近を飛んでいるのが見えたが状況確認をしていたようで、すぐに救助するような雰囲気ではでなかった。

取り壊されずに残っている高野会館の周囲では、かさ上げ工事が進む =宮城県南三陸町(植村光貴撮影)
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取り壊されずに残っている高野会館の周囲では、かさ上げ工事が進む =宮城県南三陸町(植村光貴撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 会館の周囲はまだ水没状態だったが午前10時ごろ、救助要請をするため佐々木さん、会館職員、避難していた若者の3人で多くの人が避難している志津川小学校へ向かう。

 がれきの板を橋のようにして、道がなくなった水没した町を歩いていると「津波がくるぞ」という遠くから叫び声が聞こえた。ふだんなら20分もあれば着くところを3時間かかりようやく到着した。

「よく頑張った!」お父さんにほめられた

 震災当時小学校5年生だった長女の夏蓮さん(16)は、母親、弟たちと小学校の体育館に避難していて無事だった。父親と再会した時のことを作文に残している。

 お母さんのそばからはなれないで(体育館の)出入口だけを気にしてどれだけ見続けたのかあまり記憶にありませんが、今までとは違ったすがたの人が入って来ました。頭にタオルを巻いて見たことのあるジャンパーでドロまみれのズボンをくつ下にいれて、いさましく歩いている人がいました。

かさ上げ工事が進む南三陸町で、取り壊されずに残っている高野会館 (植村光貴撮影)
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かさ上げ工事が進む南三陸町で、取り壊されずに残っている高野会館 (植村光貴撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 「お父さん!!」。お父さんでした。4人でだきついて喜びました。

 私はうれしくて涙が止まりませんでした。お父さんは、ぎゅとだきしめてくれました。

 お父さんのにおいがしました。「よく頑張った!」とほめられました。

救援物資抱え再び会館へ

取り壊されずに残っている高野会館の周囲では、かさ上げ工事が進む =宮城県南三陸町(植村光貴撮影)
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取り壊されずに残っている高野会館の周囲では、かさ上げ工事が進む =宮城県南三陸町(植村光貴撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 佐々木さんは家族全員の無事を確認、会館の救助要請をして、自分の役目を終えほっとしたのもつかの間だった。

 職員から乾パンなど入った大きな袋3袋が渡された。「今来た道を覚えていますよね」と言われ救援物資を持ってすぐにとんぼ返りすることに。

 戻ると消防隊員が現場に到着していた。「すぐには救助できないので、動ける方は自分で避難するように」と言われ、佐々木さんは約20人を誘導して、また小学校へ。12日夕、体育館に再び着いた。その後、熟睡し13日午後まで記憶はない。

 佐々木さんや高野会館の職員らの的確な判断もあって、会館での犠牲者はゼロだった。

流された居酒屋を再建

 佐々木さんの自宅は防災対策庁舎の近くで、母親が営む居酒屋の店舗を兼ねていた。母親が高齢なこともあり「そろそろ後を継がないといけないかな」と思っていた矢先の震災だった。

佐々木真さん由美さん夫妻が営む居酒屋で、写真に納まる家族。手前左から、長女・夏蓮さん、長男・礼君、三男・空君、次男・禅君。手にしているラクダ色のランドセルと幼稚園の黄色いバッグは、禅君のもの。震災から約1週間後、自宅があった場所から約1キロ離れたがれきの中から真さんが見つけ出した =宮城県南三陸町(植村光貴撮影)
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佐々木真さん由美さん夫妻が営む居酒屋で、写真に納まる家族。手前左から、長女・夏蓮さん、長男・礼君、三男・空君、次男・禅君。手にしているラクダ色のランドセルと幼稚園の黄色いバッグは、禅君のもの。震災から約1週間後、自宅があった場所から約1キロ離れたがれきの中から真さんが見つけ出した =宮城県南三陸町(植村光貴撮影)フルスクリーンで見る 閉じる

 「(津波で流された)店を再建してやりたい。災害があったとき、常に子どものそばにいたい。自分の子どもも守れないようでは他の人たちを守れない」。16年勤めた社協の仕事を震災から20日後の3月31日に退職した。

 佐々木さんは震災から2カ月後の5月12日、親類宅の居間を使って居酒屋をを再開。その後プレハブの店舗を経て平成14年秋、現在の居酒屋店舗をオープンさせた。

 店の名前は「和来(わらい)」に変えた。「仮設住宅は壁が薄く音を出さないようにするなど大変な思いをしているので『和みに来て笑ってほしい』」との願いを込めた。

 店は町の中心部から少し離れた山間部にあるが、タクシーで来るなど連日多くの地元の常連客らでにぎわっている。

建物「できれば残して…」

「高野会館」屋上に立つ佐々木真さん。機械室(写真奥)の部屋にも多くの人が避難、すし詰め状態だった =宮城県南三陸町(植村光貴撮影) 
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「高野会館」屋上に立つ佐々木真さん。機械室(写真奥)の部屋にも多くの人が避難、すし詰め状態だった =宮城県南三陸町(植村光貴撮影) フルスクリーンで見る 閉じる

 先月、佐々木さんと一緒に高野会館の屋上に上がった。佐々木さんの自宅跡もかさ上げされている。「昔の風景は残ってほしいが、新しい町が少しずつ進んでいるのかな」と話す。そして高野会館について「この建物のおかげで助かった。できれば残してほしい」。

 高野会館は現在立ち入り禁止になっている。所有する阿部長商店(気仙沼市)では、建物を「震災遺構」として残したい考えだが、費用などの課題が多く決まっていない。(写真報道局 植村光貴)

  330人を救った「高野会館」 南三陸町【東日本大震災パノラマ】Vol.397

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