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高槻城不明門は通行可能? 江戸時代に橋架かる

2017.6.1のニュース

遺跡・建造物

高槻城不明門は通行可能? 江戸時代に橋架かる

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 大阪府高槻市の高槻城跡で、城の主要部分「二の丸」にあり、本丸にも近かった「不明門」には江戸時代中-後期に内堀を渡る橋が架かっていたことが分かり、同市教育委員会が1日、発表した。橋脚が21本見つかった。

 江戸時代初めの「高槻城絵図」では不明門に橋はなく、同市立埋蔵文化財調査センターの高橋公一所長は「城が水害で被災し、正門が使えなくなったことや、平和な時代が訪れたことで不明門を使うようになったなどの可能性が考えられる」としている。

 高槻城は、キリシタン大名として知られる城主高山右近が1573年に本格的な城郭としたが、豊臣氏滅亡後の1617年に江戸幕府も修築。明治時代に破却された。

 市教委は、「二の丸」北側と内堀部分を発掘。橋脚には角材などが使われ、橋は幅4メートル、長さ15メートルと推測できるという。

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