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日露首脳会談

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 安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領の2日目の会談は16日午後に終了。両首脳は共同記者会見で、北方四島で日露両国が特別な制度のもとで共同経済活動を開始することで合意したと発表した。

北方領土 その歴史的経緯

北方領土の概況

■第二次世界大戦まで

・日魯通好条約(1855年)

 日本は、ロシアに先んじて北方領土を発見・調査し、遅くとも19世紀初めには四島の実効的支配を確立しました。日露両国は日魯通好条約において、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の両国国境をそのまま確認しました。

・樺太千島交換条約(1875年)

 日本は、樺太千島交換条約により、千島列島をロシアから譲り受けるかわりに、ロシアに対して樺太全島を放棄しました。

・ポーツマス条約(1905年)

 日露戦争後のポーツマス条約において、日本はロシアから樺太(サハリン)の北緯50度以南の部分を譲り受けました。

■第二次世界大戦と領土問題の発生

・大西洋憲章(1941年8月)及びカイロ宣言(1943年11月)における領土不拡大の原則

 1941年8月、米英両首脳は、第二次世界大戦における連合国側の指導原則ともいうべき大西洋憲章に署名し、戦争によって領土の拡張は求めない方針を明らかにしました(ソ連は同年9月にこの憲章へ参加を表明)。
またカイロ宣言は、この憲章の方針を確認しつつ、「暴力及び貪欲により日本国が略取した」地域等から日本は追い出されなければならないと宣言しました。ただし、北方四島がここで言う「日本国が略取した」地域に当たらないことは、歴史的経緯にかんがみても明白です。

(上記地図)
1905年のポーツマス条約に基づく国境線

・ポツダム宣言(1945年8月受諾)

 ポツダム宣言は、「暴力及び貪欲により日本国が略取した地域」から日本は追い出されなければならないとしたカイロ宣言の条項は履行されなければならない旨、また、日本の主権が本州、北海道、九州及び四国並びに連合国の決定する諸島に限定される旨規定しています。
しかし、当時まだ有効であった日ソ中立条約(注)を無視して1945年8月9日に対日参戦したソ連は、日本のポツダム宣言受諾後も攻撃を続け、同8月28日から9月5日までの間に、北方四島を不法占領しました(なお、これら四島の占領の際、日本軍は抵抗せず、占領は完全に無血で行われました)。

(注)日ソ中立条約(1941年4月)
 同条約の有効期限は5年間(1946年4月まで有効)。なお、期間満了の1年前に破棄を通告しなければ5年間自動的に延長されることを規定しており、ソ連は、1945年4月に同条約を延長しない旨通告。

・サンフランシスコ平和条約(1951年9月)

 日本は、サンフランシスコ平和条約により、ポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しました。しかし、そもそも北方四島は千島列島の中に含まれません。また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名しておらず、同条約上の権利を主張することはできません。

(外務省HP「北方領土問題の経緯」から)
(上記地図)
1951年のサンフランシスコ平和条約に基づく国境線

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