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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(35)日本が近代化した金融制度 高利貸に苦しむ朝鮮農民救う

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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(35)日本が近代化した金融制度 高利貸に苦しむ朝鮮農民救う

朝鮮の農村風景。農業も日本統治時代に大きく発展した(当時の絵はがきより) 朝鮮の農村風景。農業も日本統治時代に大きく発展した(当時の絵はがきより)

 同じ頃、旺盛になった朝鮮産業界の資金需要に応えるため、大韓帝国時代からの各農工銀行を統合して、長期金融を主な目的とする「朝鮮殖産銀行」が新たに創設されている。金融組合との連携も密にしながら金融システムのネットワーク化を進め、“産業の血液”を供給していった。

 ◆長崎十八銀行の盛衰

 日本が関与した草創期、朝鮮の金融業発展に寄与したのは、彼らだけではない。長崎の地方銀行「十八銀行」は、国立銀行時代の明治19年、朝鮮にいち早く仁川出張所(後に支店)を開設している。

 長崎港は朝鮮貿易の拠点のひとつだった。十八銀行史『百年の歩み』(昭和53年)はこう書く。《日清戦争は清国商人を朝鮮から一掃し、軍需景気をもたらした。長崎港の日清貿易は衰退した反面(はんめん)、日鮮貿易が浮上した》。貿易量の増加に伴い、同行の朝鮮支店は元山、釜山、京城など次々と増設されてゆく。

 勢い込んだ同行は明治40年、不動産金融を目的とした韓国拓殖銀行の設立を企図したが、果たせずに終わる。翌41年に拓殖移民、殖産資金供給を行う国策会社の東洋拓殖株式会社が設立されたからである。

 昭和11年には、ついに朝鮮からの撤退を余儀なくされてしまう。金融組合の商工業者への事業拡大などによってシェアが低下。在鮮全9支店を、前述した総督府主導で設立された朝鮮殖産銀行へ譲渡・廃止することになったのだ。

 全行本支店24のうち9つの支店廃止は大事件である。『百年の歩み』には悔しさがにじむ。《当行は朝鮮支店の維持存続に努力したが、現地金融機関の発展整備や内鮮交易による長崎の地位など往時に比し著しい変遷を…》

 対して、朝鮮総督府は財務局長声明を出して同行の業績をたたえた。《その功績は没すべからず…(朝鮮)半島金融史上に長くその功績を留(とど)める》と。=敬称略、土曜掲載(文化部編集委員  喜多由浩)

●=高の右に昇

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