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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(31)朝鮮の文化と習慣を尊重せよ 驚くべき「文化政治」の緩さ

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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(31)朝鮮の文化と習慣を尊重せよ 驚くべき「文化政治」の緩さ

日本統治時代の朝鮮映画『アリラン』の羅雲奎 日本統治時代の朝鮮映画『アリラン』の羅雲奎

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 “緩やかな朝鮮統治”である「文化政治」を推し進めた斎藤実(まこと)が第3代朝鮮総督に就任したのは大正8(1919)年8月のことである。海軍の先輩である山本権兵衛内閣で海軍大臣を務めていたが、海軍を舞台にした4年前の疑獄事件「シーメンス事件」で引責辞任、予備役編入…つまり軍人として「クビ」を宣告された境遇にあった。

 《暇な体でもあるし北海道にでも行って畑作りでもしようと…その間に持ち上がったのが朝鮮総督の話である。(略)断ったら、加藤友三郎(原敬(たかし)内閣の海相、後に首相)が来て「何だか朝鮮がごたごたしているようで誰か面倒を見てやらなければ困る」…今度は原総理自身がやってきて…詰め寄られ、のっぴきならなくなり…》(昭和16年『子爵斎藤実伝』から)

 原首相とは、同郷(岩手)の知己であった。結局、斎藤は、現役の海軍大将に復帰し、朝鮮総督就任を受諾する。陸軍大将以外の総督は、後にも先にも斎藤だけであった。

 このとき、加藤海相が言った「ごたごた」とはもちろん、大正8年3月1日に端を発した大規模な朝鮮の抗日・独立運動「三・一事件」のことである。まだ騒然とした雰囲気が残っていた中で、9月2日、京城駅に到着した斎藤を待ち受けていたのが、独立派活動家による“爆弾テロの洗礼”(斎藤は無事)だったことは前回も書いた。

 斎藤は難しい判断に迫られる。軍人主導の「武断政治」を、さらに強め、力で、くすぶり続けている抗日・独立の動きを押さえ込むか? それとも…。当時の日本の世論は、武断政治続行が優勢であった。

 ◆外国人宣教師も絶賛

 「三・一事件」は、米ウィルソン大統領らが掲げた世界的な「民族自決主義」に煽(あお)られて始まった。その朝鮮人の抗日・独立運動の背後には、李朝末期から朝鮮に浸透しているキリスト教の外国人宣教師らの存在があったとされる。斎藤に爆弾を投げつけた男もキリスト教信者だった。

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