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【話の肖像画】富士そば会長・丹道夫(2) 義父に手を箸でたたかれた

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【話の肖像画】
富士そば会長・丹道夫(2) 義父に手を箸でたたかれた

富士そば会長・丹道夫氏(宮川浩和撮影) 富士そば会長・丹道夫氏(宮川浩和撮影)

 あまり来客の多い店ではなかったので、さみしくて仕方ありません。店番は苦痛でした。それで銭湯で知り合った人に誘われ、別の燃料店で働くようになりました。ガソリンや軽油を漁港に運び、漁師に売るのが主な仕事です。ただここも、昼間は仲間がいていいのですが、住み込みは私一人。夜はさみしくて、やはり耐えられませんでした。

 そんな状況から逃げ出すように、私は東京を目指しました。中学時代の恩師の紹介で、呉服問屋の面接を受けることになったのです。それで店を訪れましたが、話し始めて10分ほどで落とされてしまいました。仕方なく、また帰郷です。

 地元で働いたのですが、東京で一旗揚げたい気持ちはやみがたく、焦燥感を抱えていました。その間に高校に通ったり、栄養の専門学校を卒業したりと力を蓄えました。最初から数えて4回目の上京をして、食品販売会社に就職しました。27歳のときのことです。食品会社では経営に参加し、弁当屋を立ち上げました。これが当たったのです。足場ができ、一定の蓄えもできたので、一軒家を買って母親を呼び寄せました。

 28歳のとき別の知人から「起業してみないか」と声を掛けられ、不動産業を始めました。最初は自営業者を対象に営業していて、物件は売れませんでした。そこで、一般のサラリーマンに目を向けたのです。高度経済成長期のまっただ中で、土地の需要があり、面白いように売れました。

 〈当時、月給500万円、交際費100万円だったという〉

 夜の街にも繰り出し、派手に遊びました。秘書が付き、運転手付きの自動車を乗り回す毎日です。ただ、事業に成功し、絶頂期にありながら、ブームはいつか終わるような予感があったのをよく覚えています。(聞き手 櫛田寿宏)

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