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【話の肖像画】星稜高野球部元監督・山下智茂(4)笑われた「3年で甲子園」

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【話の肖像画】
星稜高野球部元監督・山下智茂(4)笑われた「3年で甲子園」

平成10年の夏の甲子園、海星戦でベンチから指示を出す(安部光翁撮影) 平成10年の夏の甲子園、海星戦でベンチから指示を出す(安部光翁撮影)

 星稜高の監督を退任した今でも、毎年夏、甲子園に行きます。朝、暗いうちに球場へ行き、関係者にあいさつしながら、グラウンドへ降り、芝生や土のにおいをかぐのが好きですね。

 〈ノックの名人としても知られる。監督時代は自らバットを手にして、鍛えてきた〉

 最初はノックが打てなかった。努力です。何度も手の皮をむき、ボロボロにしながら上達しました。

 小学校に入ったころかな。巨人の監督をしていた水原茂さんが好きで、キャンプを見に行きました。守備練習で、選手に自らノックをしていた。格好いいなと思いました。水原さんがトイレに行ったとき、思い切って「ノックバットを持つ手はどっちがいいですか」と聞きました。すると、水原さんは「お前は、小さいのにおもしろいことを聞くな」と言いながら、「(右打者なら)左手でバットを持った方がいいな。ボールは右手で上げろよ」と教えてくれた。それが頭に残っていました。

 〈51年、剛腕として知られた2年の小松辰雄投手(後に中日)を擁し、石川県勢では初のベスト4へ進出。翌52年にも連続出場し、小松とともに星稜の名は全国に広まった〉

 小松は今でも日本一、球が速いと思っています。速いだけじゃなく、ズドンと重い。当時、スピードガンはなかったが、150キロは出ていたんじゃないかな。中学でも速かったが制球が悪く、入学時に肩を壊していた。だから投げさせないで、ずっと走らせていたんです。都市対抗野球に出場した社会人チームと練習試合をしたとき、打者はかすりもしなかった。ただ、捕球できるキャッチャーがいなくて、軍手をつけてミットをはめ、中にスポンジを入れて衝撃を和らげていましたね。(聞き手 江目智則)

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