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【橋本忍さん死去】《評伝》とことん人間を見つめ続けた脚本家、橋本忍さん

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【橋本忍さん死去】
《評伝》とことん人間を見つめ続けた脚本家、橋本忍さん

昭和49年2月、映画「砂の器」の製作発表に臨む(左から)橋本忍さん、松本清張さん、森田健作さん、島田陽子さん=東京都内のホテル 昭和49年2月、映画「砂の器」の製作発表に臨む(左から)橋本忍さん、松本清張さん、森田健作さん、島田陽子さん=東京都内のホテル

 巨匠の名作から肩の凝らない娯楽作品まで、数多くの映画で健筆をふるった橋本忍さんが脚本家の道に足を踏み出すきっかけは、病院のベッドの上だった。

 昭和13年、軍隊に入隊するが、肺結核で服役免除となり、療養所で過ごす。そのとき、隣のベッドの患者が見せてくれた雑誌「日本映画」にシナリオが載っており、「こんなに簡単なものなら、自分でも書けそうな気がする」と思ったという。日本一の脚本家は誰かと尋ねると、その男が教えてくれたのは映画「赤西蠣太(かきた)」などの伊丹万作監督だった。こうして伊丹門下生となった橋本さんは、80年に及ぶ脚本家人生の幕を切った。

 中でも大きかったのは、黒澤明監督との出会いだった。「羅生門」(25年)で初めて共同脚本を手がけたのを手始めに、「生きる」(27年)、「七人の侍」(29年)、「蜘蛛巣(くものす)城」(32年)、「隠し砦(とりで)の三悪人」(33年)など数々の作品に参加。橋本さんが脚本家としての確かな位置を築く礎となった。

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