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【芥川賞】「個々の作家への注意喚起になったはず」 盗用問題についての選考委員・島田雅彦さんとの質疑応答

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【芥川賞】
「個々の作家への注意喚起になったはず」 盗用問題についての選考委員・島田雅彦さんとの質疑応答

第159回芥川賞の講評を述べる選考委員の島田雅彦さん=18日、東京・築地の料亭「新喜楽」(海老沢類撮影) 第159回芥川賞の講評を述べる選考委員の島田雅彦さん=18日、東京・築地の料亭「新喜楽」(海老沢類撮影)

 --北条作品に関する選考過程は、○×△でいうと?

 ○をつけた選考委員はおられませんでしたが、△が4つで2ポイント。あとは×です。

 --△の方は、参考文献を読んだ上で評価しているのか、作品として評価しているのか

 作品としての評価を下すに当たっては、震災関連のディテールの処理の仕方も含まれています。

 --島田さん自身は、参考文献は読んだのか

私自身は、全部は読んでいないが、参照されたとされる部分についてのチェックはしています。

 --具体的に、「みのむし」「手足が突き出している」などの表現が問題とされている。細部についてどんな議論があったか

 細部についての議論はなされなかったが、それらについては、ほとんどの方が認識した上で議論が成立したと思っています。

 --北条作品について、作品全体としての評価で、低い部分があったとしたらどこか

 評価の部分はあまりでなかった。最初に2点という余り高くなかった評価を反映してですが。ネガティブな部分を紹介すれば、わりと五感に訴えてくるようなディテールが少なかったのではないか。あるいは、個々の作品のディテールとして描かれている出来事への距離の取り方が、出来事にべったりくっついてしまっているのではないか。

 あるいは、ラストに向かうヒロインの意識の変化といったものとかが、若干センチメンタルな部分があって、その実、この美少女に関心を持って寄ってくるジャーナリストたちの報道というものが、どこかで一種のセンチメンタリズムに陥っているということがある。それに対する批判的な小説と読めなくもないが、しかし、同じ轍(わだち)に「わたくし語り」がはまってしまっているのでは、という批判もありました。

 --北条作品は、震災文学のジャンル。第157回で受賞した沼田真佑さんの「影裏」と比べての意見はあったのか

 震災そのものを扱う小説は、書きにくいだろうという認識が、実作者の間に暗黙裏にあります。それぞれにフィクション的な装置を独自に工夫して、その中で震災に触れる。あるいは震災体験を間接的に書くといったようなことをやって来ている。ですから、あまりにも生々しい被災者の体験に依拠した書き方は、どうしても難しいなと。

 直接的な「影裏」との比較はありませんでしたし、私も比較の視座はとくに持たなかったが、被災地のリアルな現状であるとか、被災者の生々しい声とかを、直接的に引用することを、過去に震災と関わりのある文学作品を書かれた方は、慎重に避けてきたのではないかというふうに思います。

 また、震災体験を直接的に描くフィクションというのは、実際のところ被災者でないと難しいし、被災者が言葉を持っていないなら、ノンフィクション作家がそれを代弁するというのは、必然的にそうならざるを得ないだろうと思います。ただ、フィクションライターには、フィクションライターなりの震災への向かい方はあり得るかと思います。

 --「美しい顔」の盗用問題は、選考の材料の一つとはなったか

 これだけ、ネガティブキャンペーンが噴出した中で、全くそれらを無視した議論は成り立ちようがない。逆に、こうしたこと全般に対する個々の作家への注意喚起の機会にはなっているはずで、そういった意味では、これは個々の良心に委ねられるべきものですが、改めて意識した教訓深い経験だったと思います。

 --北条さんに対する弁護的な意見はあったか

 そういう具体的な例示を伴う指摘はなかった。

 これは私の意見ですが、具体的な文言では、比喩的に使っている「みのむし」を、そのまま使うのはいかがなものかと思う。だから、そういう不用意な使い方をしているので、盗用疑惑が出てしまうということだったのではないか。

 --盗用云々ではなく、現地に行かないで書いたことに対して、被災地の反発があった。行かないと書けないのか、ということでもあるが、その辺議論は?

 その件に関しては議論はなかったんですが、そうすると、私がどう思うかと聞かれる(笑)。

 ずいぶん昔の話ですが、開高健が「輝ける闇」というベトナム戦争に取材した作品を発表した折に、三島由紀夫が評して、「行かなくても書ける」と言った。まあ、こういうこともあったんですね。

 だから、私はこう考えたらいいと思う。現地に行って、現地の空気を吸ってくる、被災の現場をこの目を見てくる、被災者の現状をこの目で見てくる。そうしたからといって、より正しく書けるとは限らないが、それを見たことの責任とか、見たことの負い目とか、見たことの自信とか、いろいろな感情を、被災地や被災者に対して抱きうるだろうと思っている。それは恐らく、直接的に取材経験を生かさないにしても、書く強烈なモチベーションにはなるだろうなと想像します。だから、行ったらいいのか、行かなくていいのかというような聞き方をされると困りますが、行けるなら行ってみたらいいのかな、と私個人は思います。

 --選考委員の中で、これは類似なのか、盗用に当るのかの議論があったのか?

 これは盗用ではない、というふうに確認しました。少なくとも法的には盗用には当らないと。ただ、依然残る問題がある、それで解決ではないということです。これだけは付け加えておきたい。

 --参考文献をつけていたら、解決する問題だったかという議論は?

 その議論はなかったが、通例、ノンフィクションとか論文に関しては、付けないとアカデミックキャリアに傷が付くくらいに大きな問題だとは想うんですけども、慣例上、小説では発表時から細かく註を付けたり、引用をカギ括弧で覆って、ページ数を明示するといったことをしてこなかった。あとは個々の良心等に基づいて、それに対する引用、参照した先行諸作に対する敬意の払い方は、やってこられたと思う。その一つが、単行本出版時に巻末に一覧をつけるとか、あるいはそういうことが出来なかった場合には、原著作者に事後承諾という形であるものの、何らかのコメントをしたり、謝辞を述べたりという形は皆さん取ってきたかと思います。

 --こうしたことをクリアしていたら、受賞するレベルに至ったか

 それは、分からない。実際、言葉は悪いですけど、こうした一連のケチがつかなければ、受賞になったかどうかという話は、確かに出ました。それに対して皆さんがどうしたか、今やってみます。(腕組みをして、下を向く)。

 --問題が明らかになった後も候補であり続けたことに対する議論は

 ありました。疑いが生じたので、最初から候補にするのをやめるという手もあったのではという声もあった。

 その一方で、最終的には、誰かが根本的な議論をしないと収まらないだろうし、芥川賞は新人賞のくせに、こんなに人を集めるようなビッグネームの文学賞ですから(笑い)、そういう場に活用されたらいいではないか、という達観を抱いている方もいました、私ですけども。(笑い)

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