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最上義光の発給文書2通を発見 「花押」での年代特定に一石

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最上義光の発給文書2通を発見 「花押」での年代特定に一石

慶長17年8月15日付の「最上義光借用状」(縦37.8×51.3センチ)には、左下に足利型花押が残されている(柏崎幸三撮影) 慶長17年8月15日付の「最上義光借用状」(縦37.8×51.3センチ)には、左下に足利型花押が残されている(柏崎幸三撮影)

 戦国時代から江戸時代初期、現在の山形と秋田両県にまたがる「出羽国」の大名、最上義光(もがみよしあき)(1546~1614年)が家臣に与えた発給文書(はっきゅうもんじょ)2点が山形市内の最上家ゆかりの個人宅で見つかった。年号を記すことの少なかった義光の発給文書だが、この2点は義光が天正18(1590)年以前に用いた署名にあたる花押「足利型花押(あしかががたかおう)」が使われていた。発見した山形大学学術研究院の松尾剛次(けんじ)教授(日本史学)は「源氏の継承者である徳川家康政権誕生に伴い足利型花押を使用したのではないか」とみている。

 今回発見された発給文書は、慶長8(1603)年4月11日の最上義光宛行状と、慶長17(1612)年8月15日の最上義光借用状の2点。花押の形状や文字の見事さ、そして紙質から写しではなく、原本である可能性が高い。いずれも義光家臣団の平清水下野(ひらしみずしもつけ)氏宛。慶長8年の発給文書の存在は分かっていたが、これまでに見つかっていないもので「(米)千石を平清水氏に付与した」とあり、17年の発給文書は平清水氏から系図や感状(書状)を借りた際の借用書でもある。

 ともに天正18年以前にも義光が使用していた「足利型花押」が書かれ、松尾教授は「源氏の継承者である徳川家康が政権を打ち立てたことから源氏の一族である足利氏の花押を使用したのではないか」とみる。

 義光関連の文書(もんじょ)は345点あるが原本は少ない上、年号の記されていない文書が多く、研究者の間では花押による年代比定(決定)が行われてきた。

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