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【明治の50冊】(17)徳富蘇峰「吉田松陰」 国難打開へ第2の維新を欲して

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【明治の50冊】
(17)徳富蘇峰「吉田松陰」 国難打開へ第2の維新を欲して

山王草堂記念館所蔵の明治26年版『吉田松陰』。表紙には「慾庵野村靖子批評」とある 山王草堂記念館所蔵の明治26年版『吉田松陰』。表紙には「慾庵野村靖子批評」とある

 明治20年代半ば。欧米列強との不平等条約がわが国の発展を阻害、朝鮮をめぐって清との関係が緊迫、ロシアは南下政策を取りわが国の脅威となりつつあった。維新の大業を成し遂げた元勲たちは若かりし頃に持っていた清新な志を失ってしまった。

 自由民権運動に参画したのち、自由と平等を目指す「平民主義」を唱えていた徳富蘇峰は、若き日に熊本洋学校、同志社で英語をたたきこまれた当時の日本でも有数の英語の読み手。海外の文献などから厳しい国際情勢をいちはやく察知して、膨張主義・帝国主義につながる国家主義へと考えを変え始めていた。

 明治25年初春、東京の本郷教会会堂で行われた講演会で蘇峰は、元勲たちの師であった吉田松陰を取り上げる。そして、講演草稿をもとに自身が主宰する雑誌「国民之友」に10回にわたり連載、さらに加筆し26年の暮れに史伝『吉田松陰』を刊行する。

 学習院女子大講師の杉原志啓さんはこう話す。「蘇峰は、第2の維新とそれを担う第2の松陰を欲していました。当時の歴史背景と松陰の生き方を通じて、自身の強い危機感を伝えようとした。彼にしては珍しく精緻な作品に仕上がっています」

 こうして世に送り出された同書は、当時の厳しい国際情勢の中で「国民」となりつつあった日本人に好意的に迎えられてベストセラーとなり、ナショナリズムの形成を後押しすることとなる。

 松下村塾で幾多の志士を育て、安政の大獄に連座して29歳で斬首された松陰を《彼は多くの企謀(きぼう)を有し、一(ひとつ)の成功あらざりき。彼の歴史は蹉跌(さてつ)の歴史なり、彼の一代は失敗の一代なり。しかりといえども彼は維新革命における、一箇の革命的急先鋒(せんぽう)なり》と蘇峰は評価し、《彼はもとより生を愛し死を避けんと欲したるに相違なし。ただ彼はときに死よりも重きものあるのを観(み)、これを成さんがために死をも辞せざりしなり》と書く。

 東京都大田区の区立山王草堂記念館学芸員の黒崎力弥さんは「国民を覚醒させると同時に、元勲を挑発する意図もあったのでは」と推測する。

 同書刊行の翌年、日清戦争が勃発する。清を下した日本は下関条約で遼東半島を割譲されるが、28年、仏独露が遼東半島を清に返還するよう勧告する。三国干渉である。英米は中立を宣言、日本はやむなく勧告を受諾する。

 蘇峰はこのときの憤怒を自著『時務一家言』にこう記している。

 《無力なる道理は、有料なる無道理に勝たず。…予は是(ここ)に於(おい)て、力の福音に帰依したり》

 国民感情も同様だった。こうした情勢の中で『吉田松陰』は読み継がれゆく。ところが41年、蘇峰は版を改める。長州出身の乃木希典大将の意を受けて松陰門下の野村靖がなした批評を受けいれたのだ。平民主義の残映のあった旧版に対して、新版は国家膨張主義の色合いがさらに強まる。自身の思想の変化と国民感情を反映した新版は、旧版以上の売れ行きを示し、版元の民友社が看板を下ろす昭和初期までに、発行部数は新旧版あわせて約30万部に達したという。

 敗戦後の昭和21年、蘇峰はA級戦犯の疑いがかけられ、公職追放となる。同書の命脈も尽きたかに思われた。ところが、戦後いちはやく松陰の再評価を試みた歴史学者の奈良本辰也が、人物伝としての同書(旧版)を高く評価、再び読み継がれてゆく。岩波文庫と中公クラシックスに収められ、現在でも容易に入手できる。

 杉原さんは永田町をにらんでこう訴える。「日本は新たな国難に直面していながら、それを直視しようとしない政治家があまりにも多い。人生論としても第一級のテキストなので、まず彼らに読んでほしい」(桑原聡)

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 次回は6月4日『日本風景論』(志賀重昂)です。

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【プロフィル】徳富蘇峰

 とくとみ・そほう 文久3(1863)年、肥後国(現・熊本県)の豪農の家に生まれる。本名は猪一郎。熊本洋学校をへて同志社で学び、帰郷後は大江義塾を開き青年の啓蒙(けいもう)にあたる。明治20年、民友社を設立して月刊誌『国民之友』を発行、「平民的欧化主義」を主張する。23年、国民新聞社を設立して「国民新聞」を創刊、ジャーナリストとして健筆をふるう。三国干渉を契機に国家主義に転じ、太平洋戦争中は日本文学報国会会長、大日本言論報国会会長を務め、敗戦後は公職追放を受け静岡県熱海市に隠棲。著作は300冊に及ぶ。代表作は『近世日本国民史』100巻。昭和32年、94歳で死去。

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