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【書評】カズオ・イシグロ、秘密を明かしたノーベル賞受賞講演 『特急二十世紀の夜と、いくつかの小さなブレークスルー』

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【書評】
カズオ・イシグロ、秘密を明かしたノーベル賞受賞講演 『特急二十世紀の夜と、いくつかの小さなブレークスルー』

『特急二十世紀の夜と、いくつかの小さなブレークスルー』 『特急二十世紀の夜と、いくつかの小さなブレークスルー』

 カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞が決まって以来、わが国におけるこの作家の人気には目をみはるものがある。日系英国人である彼への親近感だけでなく、それ以上に、作品が日本の質のいい文学読者を魅了したのが大きいのではないか。

 ノーベル賞受賞講演を収めたこの本では、自らの軌跡を率直に語っている。いくつかのイシグロ小説と同様、土屋政雄の訳は抜群にこなれていて読みやすい。一人の作家が創作の秘密を明かした自伝としても興味深いし、その作品世界に親しむきっかけを得るのにも、格好の一冊だ。

 小説執筆のターニングポイントが冷静に振り返られる。5歳まで長崎で過ごし、以後は英国で暮らした。10代まで家の外は英国、内は日本という二重生活をした。「屋根裏部屋」に住み、大学院の創作科に通っていたとき、長崎の記憶を保存しようと初めて日本を描いた。自身のアイデンティティーの場所を一冊の本に封じ込めたかったからだという。

 記憶というテーマは個人のものにとどまらない。後にアウシュビッツの収容所を見学して、国家や共同体の記憶をテーマにする義務に気づいたとも語っている。

 ふとしたきっかけで読んだプルースト「失われた時を求めて」に感動した件も印象深い。「連想の脱線や記憶の気まぐれ」が推進力になって話をつないでいくのに、身震いするほど興奮したというのだ。語り手の思考の流れに従って物語を描けば、語り手自身の自己欺瞞(ぎまん)を暗に示せるのではないかと考えたらしい。

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