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元陸上自衛隊員、佐野紀元さん一家「次は東京五輪で」 ロス五輪のアンデルセン選手と交流30年

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元陸上自衛隊員、佐野紀元さん一家「次は東京五輪で」 ロス五輪のアンデルセン選手と交流30年

アンデルセン選手と文通を続けている元陸上自衛隊員で警備会社顧問の佐野紀元さん=東京都練馬区(牛田久美撮影、画像の一部を処理しています) アンデルセン選手と文通を続けている元陸上自衛隊員で警備会社顧問の佐野紀元さん=東京都練馬区(牛田久美撮影、画像の一部を処理しています)

 佐野さん方に滞在中は、和食や折り紙、書道などを楽しんだ。長男の小学校で剣道も見学。中学生の長女とたしなんだ茶道は、佐野さんが京都・福知山駐屯地のレンジャー部隊で習い覚えた、野だての作法だった。

 「家庭的な文化体験を求めていた。国際交流を担いながらも、自然体でみんなに溶け込んでいた」

 中でもアンデルセンさんの気に入りは、百貨店の食品売り場。試食が好きで茶巾寿司(ずし)、天ぷら、コロッケ、焼き鳥、ゆず酢など何でも口にした。「こんにゃくは何でできてるの?」と問われ、佐野さんは「イモから作ると英語で伝えるのに四苦八苦した」と笑う。

 ◆圧力をかけない

 東京五輪の男子マラソン銅、円谷幸吉の話もした。陸上競技で唯一の日章旗掲揚に、感激の余韻が冷めやらぬ昭和41年のこと。佐野さんが防衛大学校を卒業し、福岡県久留米市の陸自幹部候補生学校へ入ると、先輩に円谷がいた。

 「久留米は『二度とクルメ』といわれるほどつらい。それだけに運動場を真っすぐ往復し続ける先輩の姿は、励みになった」

 五輪で、円谷が国立競技場に戻ってきたとき、後ろを振り向かず走り続けたこと、円谷が色紙に記した「忍耐」の意味などをアンデルセンさんに話した。そして後年「疲れ切ってしまって走れません」と遺書を残し、自死したことも。

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