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【静岡・古城をゆく 北条五代の史跡】北条早雲の来歴に新説 石脇城(焼津市石脇下)

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【静岡・古城をゆく 北条五代の史跡】
北条早雲の来歴に新説 石脇城(焼津市石脇下)

石脇城跡への登り口に建つ案内柱には「伊勢新九朗盛時(北条早雲)ゆかりの山城」とある=焼津市石脇下 石脇城跡への登り口に建つ案内柱には「伊勢新九朗盛時(北条早雲)ゆかりの山城」とある=焼津市石脇下

 静岡県焼津市東部の国道150号沿いの小高い丘陵に石脇城跡がある。戦国期では「山東」(静岡市)と「山西」(焼津市・藤枝市・島田市)を地域別けした地点で標高501メートルの高草山から南に延びる舌状の丘陵先端にあり、駿府から焼津市小川へ通じる交通の要所・小坂越え(日本坂峠)を押さえるように位置する。

 先学では、築城主体者は不明で、城跡はミカン園や茶畑の開墾で大きく改変したこともあり、「築城の途中で使命は終わった」とするのが定説であった。ところが近年、伊豆江梨郷(沼津市)を支配する鈴木氏の文書に「早雲寺殿様、駿州石脇御座候」とあり、定説を覆す史料が見つかった。

 『駿国雑志』にも今川義忠の塩買坂(掛川市)での戦死後、子の龍王丸(たつおうまる)(後の氏親)は幼少であったことから、法永長者といわれた焼津市小川の長谷川氏へ逃れ、伯父の小鹿範満が当主代行者に推戴(すいたい)された。龍王丸を擁護したのが母の弟とされる伊勢新九郎盛時(北条早雲)で、山西の石脇城に入ったと記してある。

 さらに、龍王丸が成人した氏親初期の「遠州三郡乱入」(主に掛川市)、三州岩津城攻め(岡崎市)まで居城としていたことが示されている。

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