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【静岡古城をゆく・北条五代の史跡】今川義忠の戦死(菊川市高橋) 元は自国だった遠江に侵攻

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【静岡古城をゆく・北条五代の史跡】
今川義忠の戦死(菊川市高橋) 元は自国だった遠江に侵攻

正林寺にある義忠公の一石五輪塔 正林寺にある義忠公の一石五輪塔

 今川義忠は、応仁の乱(1467~77年)の大乱中に北条早雲の姉とされる北川殿を正室に迎えている。この大乱は次の文明年間(1469年~)に入ると、各大名らは自国に戻っている。遠江守護の斯波義廉は西軍に属し、遠江の国の統治は充分ではなかった。反対に義忠は、東軍の三河守護・細川成之の支援もあって、もとは自国であった遠江侵攻を図った。

 義忠は文明5(1473)年11月、将軍・義政から遠江国懸川荘(掛川市)の代官職と河勾荘(浜松市)を預け置かれた。翌6年11月には見付城(磐田市)を守備する狩野宮内少輔を攻め滅ぼす。熾烈な戦いは3カ月に及んだと『宗長手記』にある。

 また斯波氏に与(くみ)する横地氏と勝間田氏が蜂起したため、今川氏は文明7年7月に勝間田氏を攻めた。翌8年には「七日昼夜息もつかせず攻め戦い滅んだ」と横地氏を滅ぼしたと『今川記』は記す。

 ところが凱旋途中に、塩の道の塩買坂(菊川市高橋)で横地氏と勝間田氏の残党に襲撃され義忠は落命したとする『今川記』を論拠としたものが定説であった。近年、それを覆す研究が成された。

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