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【開戦から76年】(下)極寒のシベリア収容所では共産主義教育 帰国後は米軍から厳しい聴取 東京・墨田区の坂本邦男さん

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【開戦から76年】
(下)極寒のシベリア収容所では共産主義教育 帰国後は米軍から厳しい聴取 東京・墨田区の坂本邦男さん

「戦場体験者と出会える茶話会(カフェ)」で、シベリア抑留の過酷さなどをて語った墨田区の坂本邦男さん=浅草公会堂(台東区) 「戦場体験者と出会える茶話会(カフェ)」で、シベリア抑留の過酷さなどをて語った墨田区の坂本邦男さん=浅草公会堂(台東区)

 76年前の昭和16年12月8日。真珠湾攻撃を報じるラジオからは軍艦マーチが流れ、町は祝賀ムードに包まれた。だが、モーター製造会社で職工として働いていた墨田区の無職、坂本邦男さん(92)の胸中は晴れなかった。「日本みたいな小さい国が世界の大国を相手にして大丈夫なのか…」

 不安は的中。やがて戦況は悪化し、20年3月10日の東京大空襲で生まれ育った東京は火の海になった。坂本さんは翌日届いた召集令状を握りしめ、「必ずかたきを取ってやる」と誓ったという。

 4月に陸軍の通信部隊に配属され、旧満州で教育を受けながら戦闘準備を急いだものの、約4カ月後に敗戦。「かたきを取る」ことはかなわなかったが、「内心では日本に帰れるのがうれしかった」。武装解除され、日本行きの船着き場に向かうと思い込んで貨物列車に乗り込んだ。

 しかし、1カ月後、列車が着いたのは、旧ソ連・シベリアの小さな駅だった。「だまされた」とほぞをかんだが、自動小銃を持ったソ連兵を前に、逃げたくても逃げられなかった。

 「ドイツのユダヤ人虐殺のように、ソ連も日本人を殺すのかも」。最悪の考えが頭をよぎり、帰国できるという期待は絶望に変わった。覚悟を決めるしかなく、シベリア奥地の収容所に向けて、ひたすら雪道を歩き続けた。

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