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【本郷和人の日本史ナナメ読み】名将たちの城攻め(上) 信玄が徳川の城を次々に落とせた理由

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【本郷和人の日本史ナナメ読み】
名将たちの城攻め(上) 信玄が徳川の城を次々に落とせた理由

 さて二俣城ですが、城兵は徹底抗戦を行い、2カ月にわたって武田軍を苦しめました。結局は信玄の作戦によって水の手が断たれ、12月19日に開城したのですが、この抗戦によって獲得できた時間の中で、浜松城には織田信長からの援軍が到着しました。ただし、それは家康の期待に反する、しょぼい3千の兵でした。これでどないせえっちゅうねん!! 何だか家康の悲鳴まじりのツッコミが聞こえてきそうなところで、次回は三方原合戦とその後、です。(次週に続く)

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 ■長篠城死守の褒美となった徳川の姫

 亀姫(1560~1625年)は家康と築山殿との間に生まれた長女。長篠城主、奥平(松平)信昌のもとに嫁いだ。長篠城の攻防における信昌の奮闘は、家康にたいへんに評価されていたことが分かる。主君の姫を妻とした信昌は一生側室を置か(け?)なかった。亀姫は4人の男子を産み、彼らは家康の孫として尊重された。

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【プロフィル】本郷和人

 ほんごう・かずと 東大史料編纂所教授。昭和35年、東京都生まれ。東大文学部卒。博士(文学)。専門は日本中世史。

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