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【本郷和人の日本史ナナメ読み】名将たちの城攻め(上) 信玄が徳川の城を次々に落とせた理由

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【本郷和人の日本史ナナメ読み】
名将たちの城攻め(上) 信玄が徳川の城を次々に落とせた理由

 二俣城は遠江の中央部、現在の浜松市天竜区二俣町に位置する要衝です。天竜川と二俣川が合流する二俣の丘陵上に築かれた堅城で、ここに兵を入れておけば、かなり広くの地域の支配が実現できる。それで家康はこの城に1千の兵を入れて守備した。さてここで信玄が選択できる作戦は、前回の本コラムでの考察からすると、2つあったはずです。関ケ原時、大軍の前田軍が(1)小松城でやったように、二俣はスルーして浜松城に襲いかかる(もちろん、二俣城兵が打って出たときの備えとして、ある程度の兵は置いておく)、(2)大聖寺城でやったように、二俣は落城させる。

 信玄が選択したのは(2)でした。ということはですね、ここで一つの推測が生まれます。信玄は自身の死期を悟って、急いでの上洛(じょうらく)を試みたともいわれるが、それは違うんじゃないか。もし上洛を優先するなら(1)を選択し、家康の排除を急ぐのではないだろうか。信玄の目的は徳川家を滅ぼして、もしくは降伏させた上での遠江・三河の制圧で、だからこそ(2)を選択し、遠江中央部の領域支配を狙ったんじゃないかな、と。この推測の当否はまた次回出てきますので、覚えておいてください。

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