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【本郷和人の日本史ナナメ読み】名将たちの城攻め(上) 信玄が徳川の城を次々に落とせた理由

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【本郷和人の日本史ナナメ読み】
名将たちの城攻め(上) 信玄が徳川の城を次々に落とせた理由

 ここまで、城がバンバン攻め落とされています。あれ? 敵対勢力に対抗するための「境目の城」じゃなかったんだっけ? それに後年の長篠城の頑強な抵抗を考えると、なぜこうも簡単に、との疑問が生じますが、これは城兵がほとんどいなかったためと考えるべきでしょう。家康の遠江兵は8千ほど。それぞれの城に少しずつ配備していては、多少の時間は稼げても、戦術で一番やってはいけない「『兵力の分散』からの『各個撃破』」を食らってしまう。それで、家康は一つ一つの城はあえて捨て、浜松城の他には、二俣城にだけまともな城兵を割いたのではないか。

 本城の一つ手前に防御陣地を築くというのは、当時の武将にとってごく自然な作戦だったのではないでしょうか。というのは、関ケ原戦役の時、東北地方の最上氏が、山形城の手前の長谷堂(はせどう)城で上杉の大軍(司令官は直江兼続)を迎え撃ったのを思い出したのです。たしかに本城の近くでの攻城戦だと、攻め手(本作戦では武田軍)が油断していたら、守備側(徳川軍)が本城(浜松城)から虎の子の本隊を出して、城(二俣城)の守備兵との連携のもとで、背後から攻め手を逆撃できるかもしれませんね。いや、これは絵に描いた餅か。

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