産経ニュース

【モンテーニュとの対話〈13〉】言葉の捕手がいない世界

ライフ ライフ

記事詳細

更新

【モンテーニュとの対話〈13〉】
言葉の捕手がいない世界

国立民族博物館 タイの三猿像 見ざる言わざる聞かざる 国立民族博物館 タイの三猿像 見ざる言わざる聞かざる

耳はなかなかだまされない

 いま編集局文化部という組織に嘱託として籍を置き、部全体に背を向ける端っこの席に座っている。パソコンの画面や本に目を向けながら、背中で部員の雑談や電話の応対を聞くとはなしに聞いていて、思い込みかもしれないが、面白いことに気がついた。それは、目を捨てて耳だけを使ったほうが、言葉を発している人間の本質や会話をかわしている人間の関係性をより正確につかめるのではないか、ということだ。目は簡単にだまされるが、耳はなかなかだまされないように思う。

 モンテーニュが第2巻第12章「レーモン・スボン弁護」の中で興味深い故事を紹介している。《あの有名な哲学者はわれとわが眼をくり抜いて霊魂を視覚から与えられる迷いから解放し、いっそう自由に哲学することを得たのであった》。その哲学者とは、不可分の粒子である原子が物質を構成する最小単位であるという原子論を唱えたデモクリトスである。

 背中で部員の言葉を聞く日々を過ごしながら強く感じるのは、会話をかわしている人間の関係性が、ユダヤ人宗教哲学者、マルティン・ブーバーの言う〈我-それ〉の関係ばかりだということだ。分かりやすく言えば、自分のために相手をモノとして利用する関係である。この関係では「機能」こそが人間の本質とみられ、スペックの劣る人間は軽く扱われるようになる。相手をモノ扱いするわけだから、当然自分もモノ扱いされることになる。

続きを読む

「ライフ」のランキング