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【世界文化賞】音楽部門・ユッスー・ンドゥール 「歌うジャーナリスト」奔走

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【世界文化賞】
音楽部門・ユッスー・ンドゥール 「歌うジャーナリスト」奔走

ダカール市内のスタジオで自身の歌を披露するユッスー・ンドゥール =5月24日、セネガル(桐山弘太撮影) ダカール市内のスタジオで自身の歌を披露するユッスー・ンドゥール =5月24日、セネガル(桐山弘太撮影)

 5月下旬、セネガルの首都、ダカール市内の倉庫街にある音楽スタジオ。アフリカを代表する音楽家、ユッスー・ンドゥール(58)とバンドマンの10人が、特別にセッションを披露してくれるという。スタジオに緊張感が漂うなか、演奏が始まった。高音から低音までを自在に操り、ビブラートをきかせながら音程を上下させる。やや鼻にかかった独特の歌声が心地いい。魂に訴えかけてくるように、音が響いた。

                   

 セネガルに伝わる音楽や思想を伝承するグリオ(語り部)の家系に生まれ、父の反対を押し切り、12歳から音楽活動を始めた。1979年にグループ・バンド「エトワール・ドゥ・ダカール」(81年に『シュペール・エトワール・ドゥ・ダカール』に改称)を結成、国民的な人気歌手となった。

 80年代、セネガルの伝統音楽に欧米の現代ポップスを融合させた新しい音楽スタイル「ンバラ」を発展させていった。ポール・サイモンやピーター・ガブリエル、スティングらとの共演で活躍の幅が広がり、ワールド・ミュージックの代表的アーティストとして世界で知られるように。

 「ザ・ライオン」「セット」などの名盤を次々と制作し、98年のサッカーW杯フランス大会では公式賛歌を担当。2004年のアルバム「エジプト」でグラミー賞を受賞した。

 その後、ドキュメンタリー映画「ユッスー・ンドゥール 魂の帰郷」を制作。黒人音楽のルーツをたどるため奴隷貿易の拠点だったダカール沖合のゴレ島を出発し、米国、欧州を巡回してゴレ島に戻るまでの演奏旅行を追った作品は、内外で大きな反響を呼んだ。

 「ゴレ島を出た奴隷たちは自分たちの音楽を米大陸に持ち込み、世界に広めました。それがジャズであり、ブルースなのです」

 11年には母国の大統領選立候補のため音楽活動を一時停止した。「祖国のためにリーダーの役目を果たしたい」と考えたという。その後、当時の大統領の対立候補を支援する立場に回り、新内閣で大臣を務めた。そして、2年半後に音楽活動を再開。祖国、アフリカを愛する気持ちは一層強くなっていたという。

 その思いは、“現代のグリオ”として音楽に社会的メッセージを込める姿勢にも表れ、「歌うジャーナリスト」とも称される。基金を設立し、エイズとマラリアの防止にも尽力している。

 「ミュージシャンは、音楽を通して援護活動を行うことも、世界に協力を呼びかけることもできるのです」と力強く語った。

                   

 日本との縁は、坂本龍一のアルバムに参加したことから始まったという。ホンダのステップワゴンのCMソング「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」で認知度を高め、06年に来日し公演を行った。「独特のリズムを理解し、みんなで私の歌を歌ってくれました。日本の観客は素晴らしい」と笑う。今年4月には最新アルバム「アフリカ・レック」が日本でも発売された。

 セネガルからは初の世界文化賞の受賞者。「私は日本を尊敬しています。今回の受賞は非常に名誉なことで、感謝します」と喜びを語る一方、「音楽や芸術に国境はなく、私も国境を持ちません。どこで演奏しても本質は変わりません」と言葉に力を込めた。(杉山みどり)

【プロフィル】Youssou N’Dour

 ユッスー・ンドゥール 1959年10月1日、セネガル・ダカール生まれ。アフリカの伝統音楽に欧米ポップスなどの要素を取り入れた独自の音楽スタイルを確立し、80年代の「ワールド・ミュージック」ブームを牽引(けんいん)。2004年、アルバム「エジプト」でグラミー賞受賞。07年、米タイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれる。ユニセフ親善大使やフランスのシラク財団名誉委員も歴任。

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