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【本郷和人の日本史ナナメ読み】福島正則と戦国の主従関係(下) 家康養女より三成の娘を選んだ殿様

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【本郷和人の日本史ナナメ読み】
福島正則と戦国の主従関係(下) 家康養女より三成の娘を選んだ殿様

 寛永元(1624)年、福島正則が信濃・高井野で死去。このとき没後の手続きに不備あり、とされ、高井野藩2万石は改易されました。何だかこのあたりにも「幕府の言いがかり」が感じられますね。でもさすがに哀れに思ったのか、幕府は正則の遺児の正利に3千石ほどを与え、旗本として福島家を存続させました。一方、この状況を弘前から見ていた直秀は、我慢できなくなったらしい。自分は神君・家康の、義理とはいえ孫にあたる(実母の満天姫は家康の養女)。しかも父は正則の本来の後継者の地位にあった。福島家の真の当主は、自分をおいて他にないじゃないか、と考えたのです。

 寛永13(1636)年9月、直秀は江戸に上って幕府に訴え、自身の手による福島家の再興を図ろうとします。その旅立ちに際して母親(満天姫)のもとを訪ね、暇(いとま)を乞うた。その直後、直秀は急死しました。『大道寺家譜』は、満天姫から与えられた杯を飲み干したあとに苦しみだし、ついに絶命した、と記します。確実な証拠はないから、どこまで信用できる話か分かりません。ですが、直秀の行動は津軽家に害をなす可能性が大いにある、と判断した満天姫は、実子を犠牲にすることで津軽家を守ったといわれるのです。

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