産経ニュース

【マキャベリ流-是非に及ばず】NOBUNAGA(41)秀吉編 四面楚歌の中に味方を得られるかどうかが勝負どころである

ライフ ライフ

記事詳細

更新

【マキャベリ流-是非に及ばず】
NOBUNAGA(41)秀吉編 四面楚歌の中に味方を得られるかどうかが勝負どころである

柴田勝家像。勝家との確執から羽柴秀吉は「職場放棄」に至る=福井市、北の庄城址・柴田公園(関厚夫撮影) 柴田勝家像。勝家との確執から羽柴秀吉は「職場放棄」に至る=福井市、北の庄城址・柴田公園(関厚夫撮影)

 《猿帰り候て、夜前の様子を具(つぶさ)に言上(ごんじょう)候》

 紀州の本願寺門徒・雑賀衆を鎮圧するため遠征中の織田信長が天正5(1577)年3月(旧暦)、細川藤孝(幽斎)や明智光秀ら麾下(きか)の武将にあてた指令書(漢文の部分は読み下し)の一文である。

 「夜前」の情勢を事細かに報告した「猿」とは羽柴(豊臣)秀吉。信長の手紙では、秀吉の妻、ねねにあてた文中で秀吉を「はげねすみ(ネズミ)」と呼んだことも知られている。

 私信だけでなく、指令書という公的文書のなかでもあだ名で呼ぶ。信長と秀吉という主従、また上司-部下の間の近さがわかろうというものだ。そんな関係に甘えたのだろうか、「猿」の書状から5カ月後、秀吉はとんでもない失態をしでかす。

 〈8月8日、信長公は柴田勝家を総大将として、越後の上杉謙信ならびに加賀・能登地方の一揆を討伐するための兵を出された。柴田に従うのは滝川一益、羽柴秀吉、丹羽長秀ら。ところが秀吉は信長公におうかがいを立てることなく、軍を引き揚げてしまった。このことは信長公の逆鱗(げきりん)に触れ、秀吉は途方に暮れることになった〉

 『信長公記』の記述の要約である。職場放棄。上官である勝家に対する反発と反目がこの明確な軍律違反の理由だったとされる。

続きを読む

「ライフ」のランキング