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【マキャベリ流-是非に及ばず】NOBUNAGA(36)死は苛酷なれど、名声は永遠なり。末長く記憶せられん

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【マキャベリ流-是非に及ばず】
NOBUNAGA(36)死は苛酷なれど、名声は永遠なり。末長く記憶せられん

『太平記英勇伝』の「荒木村重」。口にくわえているのは、「織田信長」が刀に突き刺したまま差し出したまんじゅう(伊丹市立博物館所蔵) 『太平記英勇伝』の「荒木村重」。口にくわえているのは、「織田信長」が刀に突き刺したまま差し出したまんじゅう(伊丹市立博物館所蔵)

 翌年9月、村重は突如、それまで籠城していた有岡城から尼崎城に移る。

 「このまま毛利からの援軍がなく、有岡城の兵糧が尽きるようであれば、信長勢と戦いながら有岡城内の妻子たちを移動させよう。それが実現できないなら、尼崎・花熊城を差し出して命ごいだ」

 『信長公記』によると、村重はそう言って城兵を力づけてからまもなく、人目を忍ぶようにして有岡城を去った。一方で村重は補給基地としての尼崎城を重視し、援軍に向かったのだ-とする擁護論もある。だが、いずれにせよ、村重がとった行動は戦国時代有数の惨事を招いた。

 主(あるじ)を失った有岡城は足軽大将らが寝返るなど動揺。2カ月半後、「村重に投降を説得するため」との理由で主な部将が妻子らを人質として有岡城に残したまま尼崎城に向かう。そして師走。『信長公記』によると、この妻子ら約160人は処刑され、お付きの男女ら約510人は4つの民家に押し込まれたうえで火を付けられ、焼き殺された。

 この虐殺を命じた信長が「残酷」と非難されるのはもっともだし、覚悟していたことだろう。だが、その原因をつくった村重の責任もそれ以上に重い。「人質となった一族郎党を見殺しにして毛利氏のもとに脱出した」(「日本人名大辞典」)。彼はそんな汚名を後世から冠される。

                   

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