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【マキャベリ流-是非に及ばず】NOBUNAGA(36)死は苛酷なれど、名声は永遠なり。末長く記憶せられん

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【マキャベリ流-是非に及ばず】
NOBUNAGA(36)死は苛酷なれど、名声は永遠なり。末長く記憶せられん

『太平記英勇伝』の「荒木村重」。口にくわえているのは、「織田信長」が刀に突き刺したまま差し出したまんじゅう(伊丹市立博物館所蔵) 『太平記英勇伝』の「荒木村重」。口にくわえているのは、「織田信長」が刀に突き刺したまま差し出したまんじゅう(伊丹市立博物館所蔵)

 〈天正6(1578)年10月21日(旧暦)、摂津国をあずかる荒木村重が逆心を抱いているという情報が方々から寄せられた。信長様は「そんなはずはなかろう」とお考えになり、明智光秀らを派遣し、「何か不満なことがあるのか。思ったままこの者たちに申せ」と伝えさせたところ村重は「反逆の心などまったくございません」と答えた。信長様はお喜びになり、「人質として母をよこし、村重本人も出仕してくるように」と命じられたが、謀反をたくらんでいたので、信長様のもとに参ることはなかった〉

 『信長公記』の記述である。村重は本願寺勢力や中国地方の覇者である毛利輝元、また輝元が保護している室町幕府最後の将軍、足利義昭と周到に計画を練っており、満を持した謀反劇-のはずだった。ところが、重臣と頼りにしていた摂津国東部・高槻城の高山右近、茨木城の中川清秀らが次々と信長側に投降。村重率いる“反乱軍”は有岡城(兵庫県伊丹市)や尼崎城、花熊(はなくま)城(神戸市)、三田(さんだ)城などを中心に摂津国西部に点在する拠点に籠城することを余儀なくされる。

 《信用のおける人物というのは、せいぜい一人か二人くらいしか見つからないものである。(中略)人間は他人が自分に好意をよせていると買いかぶりすぎて、裏切られがちなものである》(※1)

 お師匠様の『政略論』の一節だ。信長にも村重にもあてはまる真理といえようか…。

                   

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