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【文芸時評】「近代の終わり」という大きな物語 8月号 早稲田大学教授・石原千秋

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【文芸時評】
「近代の終わり」という大きな物語 8月号 早稲田大学教授・石原千秋

石原千秋さん 石原千秋さん

 「ポスト・トゥルースの時代」などと言うが、また「ファクト・チェック」が可能であるかのように言う人もいるが、ではこれまでの歴史の中で「トゥルースの時代」などあったのだろうか。「ポスト・トゥルースの時代」というネーミングは、「トゥルースの時代」があったかのように信じ込ませる。むしろ、その方がよほど恐ろしいことだと思う。その意味において、「ポスト・トゥルースの時代」という現状認識は、反動的ではないだろうか。「ポスト・トゥルース時代」というネーミングはその反動性を覆い隠す。もちろん、東はそんなことは十分にわかっている。先の引用部に続けて、「いまこそポストモダン的な問題意識が重要だと見ることもできる」と付け加えているのだから。「ポスト・トゥルースの時代」と言うが、そういう時代こそ「真実」などないという立場が重要だと言っているのである。

 思い起こせば、「近代の終わりという大きな物語」は、「近代を問い直す」とか「資本主義を超えよう」というかけ声を共有したポストモダン思想=ニューアカデミズムからはじまった。それはバブルの思想だった。つまり、資本主義の恩恵をたっぷり被ったものだった。ロラン・バルトが作者に死を宣告して読者の誕生を高らかに宣言できたのも、1本のツリーを否定して枝分かれしたリゾーム(根茎)を思想のモデルにできたのも、人々が多くの選択肢を持ち得た高度消費社会がリアリティーを持った時代だったからではなかったか。

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