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100歳超えても活躍した日野原重明さん 自立した高齢者の目標に

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100歳超えても活躍した日野原重明さん 自立した高齢者の目標に

下関少年少女合唱隊を指揮して「ふるさと」を歌う日野原重明さん=2012年6月6日、山口県下関市の下関市民会館 下関少年少女合唱隊を指揮して「ふるさと」を歌う日野原重明さん=2012年6月6日、山口県下関市の下関市民会館

 18日に105歳で逝去した日野原重明さんは、100歳を超えてもなお精力的に活躍する姿が、生きがいを持って自立して暮らす高齢者の目標となった。

 キリスト教の牧師一家の次男として生まれた日野原さんは、医療者として早い時期から予防医学の重要性を指摘。昭和29年、聖路加国際病院で日本で最初の人間ドックが開設された際には、立ち上げのメンバーとして奔走した。

 また「成人病」と呼ばれていた脳卒中や心臓病などを「加齢で必ず発症するものではない。生活習慣の改善により疾病予防につながる」として、「習慣病(現生活習慣病)」と呼ぶよう同53年から提唱した。

 病院長としての手腕もいかんなく発揮した。平成4年に聖路加国際病院の新病棟を建設する際には、一般的な病院よりも広いロビーや礼拝堂施設を併設。一部で「過剰投資だ」と批判されたこともあったが、3年後の7年3月に13人が死亡し、約6300人が負傷したオウム真理教による大規模テロ「地下鉄サリン事件」で、そのロビーや礼拝堂が緊急応急処置場となり、被害を抑える役割を担った。

 昭和45年に発生した過激派「赤軍派」による「よど号ハイジャック事件」ではたまたま乗り合わせ、韓国・金浦空港で解放されるまで人質となったことでも知られている。

 100歳を迎えた平成23年には、北朝鮮在住の元赤軍派メンバー4人が、日野原さんに謝罪する手紙を、親族を介して手渡していたことも判明。メンバーの一人、若林盛亮容疑者は当時、産経新聞の電話取材に対し、「日野原先生の100歳の誕生日をお祝いするとともに、おわびを申し上げたかった」と経緯を説明していた。

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