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【維新150年 高知編(6)】三菱マークのルーツ 重なった山内・岩崎両家

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【維新150年 高知編(6)】
三菱マークのルーツ 重なった山内・岩崎両家

「三階菱」の家紋が刻まれている岩崎家の土蔵の鬼瓦 「三階菱」の家紋が刻まれている岩崎家の土蔵の鬼瓦

 弥太郎は天保5(1835)年生まれで、坂本龍馬のひとつ年上だ。たいへんな腕白小僧だったが、勉強はできた。貧しいながらも江戸遊学までさせてもらったが、父親がケンカに巻きこまれて、重傷を負う事件が起き、急(きゅう)遽(きょ)、帰郷した。奉行所の不利な判定に激怒した弥太郎は「官は賄賂を以て成り/獄は愛憎に因りて決す」と落書きをした。

 怒った奉行所は、弥太郎を投獄してしまった。8カ月におよぶ獄中生活のさいに、やってきたのが龍馬だ、という逸話がある。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』にも次のくだりがある。

 「弥太郎は口がきたない。城下うまれの竜馬ではちょっとききとりにくい井ノ口村の地言葉である。/『うらァ、こうして牢にはいっちょるけンどもが、志ァ万里を駆けちょる』」

 学問的にはあまり裏づけのない明治期の弥太郎伝からの孫引きらしく、フィクションであろう。ふたりが初めて会ったのは慶応3(1867)年春、場所は長崎だった。

 弥太郎は出獄後も井ノ口には帰れず、追放先でいきさつは不明ながら、のちの藩の最高幹部・吉田東洋が開いた少林塾に入った。塾生に上士の後藤象二郎がいたことが、弥太郎の生涯を決した。25歳のときだった。

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