産経ニュース

【マキャベリ流-是非に及ばず】NOBUNAGA(12)徹底的な勝利を望む者は、しばしば敗北する

ライフ ライフ

記事詳細

更新

【マキャベリ流-是非に及ばず】
NOBUNAGA(12)徹底的な勝利を望む者は、しばしば敗北する

長篠合戦古戦場に復元された「馬防柵」=愛知県新城市(関厚夫撮影) 長篠合戦古戦場に復元された「馬防柵」=愛知県新城市(関厚夫撮影)

 戦国時代の古戦跡をめぐっていると戸惑うことがある。四百数十年も前に起きたことなのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、風景はすでに一変、あたりを眺めているかぎりでは、当時を想像することが難しいのである。

 桶狭間合戦の取材で織田信長軍と今川義元軍の軌跡をたどったときには碑や説明板はあるものの、一帯は住宅地や商工業地になっていることが多く、面食らってしまった。

 信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍が激突した「長篠の戦い」の主舞台・設楽原(したらがはら)古戦場(愛知県新城(しんしろ)市)。ここにはまだ戦国時代の面影が残る。それでも、武田軍の左翼が陣取った場所に建つ新城市設楽原歴史資料館の屋上から信長・家康軍が陣取っていた付近を眺めたとき、軽い失望を禁じえなかった。

 「平坦(へいたん)の部分甚(はなは)だ少なく自在に馳駆すべき地にあらず」などと迫力たっぷりに参謀本部編『日本戦史 長篠役』が描いた情景は何処(いずこ)、のどかな田園風景が広がっていた。

 天正3(1575)年、ここで対峙(たいじ)していた信長・家康軍は3万、対する武田軍は1万5千とされる。寡兵。しかし勝頼は父・信玄死後も着々と領地を拡大し、隣国の家康に対しては因縁の地・長篠をめぐって1敗した後は連勝。3年前の「三方原の戦い」で家康を撃破した信玄恩顧の名将たちも健在だった。

続きを読む

「ライフ」のランキング