産経ニュース

【マキャベリ流-是非に及ばず】NOBUNAGA(7)幸運は人智を超えて訪れる。どんな苦境でもあきらめてはならぬ

ライフ ライフ

記事詳細

更新

【マキャベリ流-是非に及ばず】
NOBUNAGA(7)幸運は人智を超えて訪れる。どんな苦境でもあきらめてはならぬ

「不屈の日本人」 「不屈の日本人」

 「そこだよ、目の前のそれそれ。人一人通れるくらいのわき道があるだろう。そこを上ってゆくと、原っぱと畑がある。そのあたりがお探しの“丹下砦(とりで)跡”だよ。見晴らしはよいけれど、碑だとか説明板とかはなにもないよ」

 名古屋市緑区鳴海町。近くに住む壮年の男性は、筆者に対して気の毒そうにそう道案内してくれた。「桶狭間合戦を追え」というわがお師匠(マキャベリ)様(さん)のご託宣を実行に移すべく、古戦跡を訪ね歩いていたときのことだった。

 永禄3(1560)年5月19日(旧暦)の明け方、約20キロ北方にある本拠地・清洲城(愛知県清須市)を主従わずか6騎で出立した織田信長は、途中、熱田神宮での戦勝祈願をはさんで駆けに駆け、まずはこの丹下砦に入り、次いで南東へ約800メートルの場所に築いていた善照寺砦に移動し、軍勢を整えていた。

 ときは午前11時ごろだったろうか。織田家の領内に攻め込んだ後、「おけはざま山」で休息をとっていた今川義元軍の本陣まで、直線距離であと約3・5キロに迫っていた。

 さてこれからは地図も参照しながらお読みいただきたいのだが、この後、2千の手勢で10~20倍とされる義元軍に挑む信長軍の進路は2説ある。北東へぐるりとまわるや急転直下、義元の本陣を突いたという「迂回(うかい)奇襲説」と南の中島砦へ駆け下り、そのまま義元本陣に向かったとする「正面攻撃説」である。

続きを読む

このニュースの写真

  • NOBUNAGA(7)幸運は人智を超えて訪れる。どんな苦境でもあきらめてはならぬ

「ライフ」のランキング