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【話の肖像画】プロデューサー、デザイナー・山本寛斎(4)10人の1人は嫌、トップ目指す

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【話の肖像画】
プロデューサー、デザイナー・山本寛斎(4)10人の1人は嫌、トップ目指す

 〈25歳のとき、英国を訪れたことがきっかけで、米国発行の雑誌「LIFE」に掲載される〉

 ベトナム戦争真っただ中で、世界中でヒッピーという新しい価値観を持つ若者たちが誕生し、生き方やファッションも大きく変わりつつありました。ファッションデザイナーを目指していた私ですが、興味を持って読んでいたのは音楽雑誌「ミュージック・ライフ」。登場する英国を中心としたアーティストのファッションが素晴らしく、人生最初の旅はロンドンのキングスロードに行こうと決めていました。

 このころ、独立して、東京・原宿のマンションの一室にアトリエを設けました。原宿といっても、当時は民家しかないような場所で、世界の一流ブランドのショップが立ち並ぶ今のような状況は想像もできませんでした。アトリエのドアを開けると床に砂が敷いてあり、私の座る場所にはわらが積み重ねてあります。壁に漁網を立て掛け、出来上がった服をそこに引っ掛け、フロアにはニワトリを放っていました。このころから私は、自分でデザインした服を身にまとって生活していました。アトリエへは山手線で通っていましたが、金髪のアフロヘアで上下とも蛇革の服を着た私に対し、人々の視線は好意的とは言いがたいものでした。

 そんなとき、ロンドンに行く機会が訪れました。あこがれだったキングスロードを、金髪のアフロヘアと蛇革の服で何往復もしました。すると、通り沿いのブティックから若い販売員の女性たちが出てきて、「その服かっこいい!」「どこで買ったの?」と声を掛けてきました。

 「LIFE」に掲載された写真は、この旅行のときのものです。見知らぬ男性から英語で話しかけられ、一緒にスタジオに行って撮りました。「10人の世界のカッコいい男」という企画でしたが、このとき、「10人の1人ではなく、トップになるにはどうすればよいだろう」と思いました。答えは、私のオリジナリティーを出すことだと気が付きました。世界中で山本寛斎という男は1人しかいないのだから、世界で1人の私にしかできないクリエーション(創作)をしようと大きく身構えました。

 その頃、同世代のイラストレーター、アントニオ・ロペス氏に「イギリスで私が有名になるにはどうすればいいと思う?」と尋ねました。彼は「何着かの自作を持って雑誌社を訪ね歩くといいよ」とアドバイスしてくれましたが、そんな悠長なことはできないと思った私は、ロンドンで自作によるファッションショーを開催しようと決意しました。

 〈1971(昭和46)年、27歳のときに日本人として初めてロンドンでショーを開く〉

 ショーでは、日本の着物の奥にある美学を表現しようと考えていました。歌舞伎を見るチャンスがあり、舞台様式の美しさや、衣装のあでやかさに魅了されました。そこで、衣装が一瞬にして変わる「引抜(ひきぬき)」や「ぶっかえり」など歌舞伎の技法をショーに盛り込むことにしました。結果、大成功で、ロンドンの新聞では「あの模倣の国、日本から新しい挑戦者現る!」などの見出しが躍りました。イギリスの公共放送局BBCでもショー成功の様子が伝えられ、ロンドンでの初めてのショーは大ホームランとなりました。このころ、ステージ衣装の提供をきっかけに、世界的なミュージシャン、デビッド・ボウイとの交流が始まりました。(聞き手 平沢裕子)

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