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【話の肖像画】プロデューサー、デザイナー・山本寛斎(2)暗くつらかった初めての旅

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【話の肖像画】
プロデューサー、デザイナー・山本寛斎(2)暗くつらかった初めての旅

2歳のころ、両親と 2歳のころ、両親と

 〈横浜で生まれ、7歳まで過ごした後、両親の離婚で一時、高知の児童相談所に預けられる〉

 私の人生の大きなスタートは7歳のときです。京浜急行の上大岡駅から、5歳と3歳の2人の弟の保護者となりながら鈍行に乗って高知へと向かう旅に出ました。それはとても重くて暗いものでした。当時の折々の出来事は、今でも写真のように鮮明に浮かび上がります。

 鈍行列車がゆえ、何度も停車と発車を繰り返し、乗客が入れ替わりますが、乗ってきた大人はみんな、私たち兄弟にミカンなど食べ物をくれました。彼らの目にはかわいそうな3人の子供たちと映ったのでしょう。夕方から夜にかけて暗闇を過ぎ去っていくチンチンチンという踏切の音と、窓の外の暗闇に浮かぶ家族だんらんの象徴のような温かな明かり。宇高連絡船の夜の暗闇と海の湿った空気、汽笛の重たい音。当時抱いた胸が押し付けられるような感情を、今でも夕暮れ時に思い出します。

 たどり着いた高知駅には、迎えに来るはずの父親の姿がありませんでした。代わりに、児童相談所からきた25歳ぐらいのお姉さんが「(米の配給に必要な)米穀通帳は持っているの?」と怖い声で聞いてきました。持っているはずもなく、この質問は子供の私の胸に鋭く突き刺さりました。

 私たち兄弟の何がいけなかったのか分かりませんが、施設の職員はとにかく不親切でした。末の弟がおねしょをすると、いつも私がしかられました。当時は日本全体が貧しく、食うや食わずの生活をしている家庭は珍しくありませんでした。食べ盛りの子供がたくさんいる施設ではなおさらで、食べ物が足りず、いつも空腹でした。施設は鉄条網で囲まれていましたが、その外にサツマイモ畑がありました。夜中に抜けだして畑に忍び込み、月明かりでイモを掘り、土を払って食らいつきました。

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