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【話の肖像画】日本医師会長・横倉義武(2)勝手が違った開業医の仕事

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【話の肖像画】
日本医師会長・横倉義武(2)勝手が違った開業医の仕事

父・弘吉氏の福岡県みやま市名誉市民章授章式に同席した(右) =平成25年10月(本人提供) 父・弘吉氏の福岡県みやま市名誉市民章授章式に同席した(右) =平成25年10月(本人提供)

 〈部活動で運動に明け暮れた3年間の高校生活。医師か外交官か進路を決めたのは、高校3年の時に受けた虫垂炎の手術だった〉

 外科医の叔父が手術をしてくれて、劇的に痛みが緩和されたんです。それでやっぱり医療というのは大事だし、人の役に立つなということを強く感じて、それで医学部に進もうと決断しました。

 久留米大の医学部での勉強は非常に楽しかった。ちょうどそのころ遺伝子の解明がずっと進んでいくころだったんで、本当に目を見開く思いでしたね。一方で臨床の勉強も一生懸命やりました。久留米大は循環器に優秀な先生が多かったので、そういう部分はしっかり鍛えられたし、面白かった。

 父の弘吉は内科医でしたが、自分は外科に進みました。ちょうど大学病院に循環器病センターという内科と外科が合同で仕事をするような場所ができたからです。大学でラグビー部に入り、ケガの治療で外科になじみがあったというのもありました。

 大学病院には15年間いましたが、心臓関係の研究に取り組みました。当時全国的にもあまりなかった術後管理のチームを編成し、劇的に術後の回復力を改善させたりもしました。

 〈心臓血管外科医として脂の乗りきった30代。西ドイツの大学病院で2年間留学し、後進の指導にもあたっていたが、父から思わぬ連絡が来た〉

 父が福岡県の教育委員になり、福岡市に出ることが増え、高田町(現みやま市)の実家の病院を不在にしがちで患者さんが困っているというんです。放射線科医の兄は東京に行ったままで、私が大学病院を辞めて手伝うことになりました。39歳のときです。ただ、大学病院とは全然勝手が違いました。慢性疾患の患者が多くて、何から何まで自分で診療にあたらなければいけない。常勤の医師も5人くらいしかおらず、少ない人間でいかにちゃんとした医療をするかに頭を悩ませました。

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