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【葬送】元法相・奥野誠亮氏 思いやり貫いた保守政治家(12日、東京都千代田区のホテルニューオータニ)

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【葬送】
元法相・奥野誠亮氏 思いやり貫いた保守政治家(12日、東京都千代田区のホテルニューオータニ)

奥野誠亮氏(代表撮影) 奥野誠亮氏(代表撮影)

 黙祷(もくとう)に続き、雅楽の楽人が唱歌「故郷(ふるさと)」を奏でた。

 「先生は103年、志を果たしてふるさとに帰られました。しかし、もしやり残されたことがあるとすれば、その志はしっかりと、私たちが受け継いでいくことをお約束申し上げます」

 「お別れの会」実行委員長の安倍晋三首相は弔辞でこう述べ、別れを惜しんだ。「約束」とは憲法改正のことだと、参列者の多くが受け止めたに違いない。

 護憲の声が今よりもはるかに強かった時代に、自主憲法の制定をひるまず訴え続けた。昨年11月には、保守政治家の最長老として日本記者クラブの会見に招かれ、「そろそろ自前の憲法をつくろう」と訴えた。長男の信亮衆院議員は喪主あいさつで「新憲法制定への理解が国民に広がる中、自分の主張が日の目を見始めたのではないかと考えていたように思われます」と語った。

 昭和13年に内務省入り。戦局が悪化していく中、国民と地方団体を守ろうと力を尽くした。戦後は連合国軍総司令部(GHQ)と渡り合いながら、今の地方税財政制度の礎を築き、自治事務次官も務めた。仕事には厳格だったが、思いやりの心、「恕(じょ)」を信条とし、自らとは異なる意見にも耳を傾ける包容力のある人柄だった。

 激動の時代を経験したことから、日本の自主性を大切にする思いが人一倍強かった。日本人が戦ったのは大東亜戦争であり、GHQが強いた太平洋戦争という呼び名では意味が分からなくなるとして、自虐史観からの脱却を訴えた。アジア福祉教育財団で40年以上、戦後独立したアジア各国の国づくりや難民支援に心を砕いたのも、恕の心と日本の歩みを重んじたゆえだった。

 11月16日、老衰のため死去。享年103。(榊原智)

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