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【本郷和人の日本史ナナメ読み】大坂の陣と後藤又兵衛(上) 最期の描写、実は講談が正しかった

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【本郷和人の日本史ナナメ読み】
大坂の陣と後藤又兵衛(上) 最期の描写、実は講談が正しかった

 後藤又兵衛は永禄3(1560)年、播磨に生まれました。諱(いみな)は基次といいます。え? 姓が後藤で、名前に「基」の字がついて、播磨の武士だって? じゃあ…、という具合に、中世史研究者であるぼくの想像は膨らみます。源頼朝に仕えて播磨の守護に任じられた後藤基清という有名な武士がいたからです。

 基清は京都で活躍していた、学術用語でいう「京武者」の典型。武芸に秀でるだけでなく、教養があって貴人ときちんとお話ができ、歌の一つもスラスラと詠みこなす。字も書けないような関東の荒くれ武士とは違います。彼は幕府で重用されたのですが、結局は承久3(1221)年、朝廷と幕府が戦った承久の乱で後鳥羽上皇のもとにはせ参じ(学のない関東武士がイヤだったのかな)、敗戦後に処刑されました。ただし、基清の嫡男の基綱は幕府方に属していて、後藤の家は無事、存続します。「犬伏の別れ」は、もうこの頃からあったのですね。後藤氏の活躍の場はやはり京都。六波羅探題(ろくはらたんだい)に出仕して繁栄していきます。

 播磨・後藤氏の一流は、室町時代には、同国の守護である赤松家に仕えたと言います。又兵衛はその血筋なのでしょう。彼は播磨国で台頭してきた黒田官兵衛に仕えた。官兵衛が荒木村重によって幽閉された際にはいっとき黒田家を離れ、名作コミック『センゴク』の主人公、仙石秀久の家臣になっています。

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