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【文芸時評7月号】心の使い方を学ぶ 早稲田大学教授・石原千秋 

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【文芸時評7月号】
心の使い方を学ぶ 早稲田大学教授・石原千秋 

石原千秋・早大教授 石原千秋・早大教授

 信州は松本で、高校の国語の先生方に「漱石没後百年」という講演をした。先生方の切実な問題は、生徒たちの共感度がどんどん低くなっていくのに、なぜいまだに『こころ』を教えなければならないのかという点にある。これは国語の教師に共通する悩みだ。

 全国からエリートを集めたいわゆる旧制高校には、学校のカリキュラム(表のカリキュラム)のほかに、学生たちが自ら学んだ裏のカリキュラムがあって、文学と哲学がその中心だった。いわゆる教養主義である。断片的な統計しかないようだが、昭和に入る頃から『こころ』が読書調査で1位になっている。旧制高校は全寮制の男子校だから、女性とのつきあいはあまりできない。そこで、『こころ』を読んで倫理観のようなものを学ぶ建前で、女性と接したときの男性の心の動きを紙の上でレッスンしていたのではないかと邪推している。自分も「女の謎」に振り回されて、悩んでみたいと。

 漱石の小説は、文壇からは「くどい」という批判を常にあびていた。当時は、心を書く文体がまだ一般的ではなかったからではないかと思っている。別の言い方をすると、心があれほど細やかに動くことを知らなかったのではないかと思っている。エリートたちはあり余る時間に、あり余る時間にあかせて悩みに悩んだ『こころ』の「先生」から贅沢(ぜいたく)な心の使い方を学んだのだろう。それがエリートの証(あかし)だった。

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