「江戸落語の始祖」といわれた鹿野武左衛門(しかのぶざえもん)の波瀾(はらん)に満ちた半生を描いた長編小説である。
時は17世紀。上方で露(つゆ)の五郎兵衛(ごろべえ)が辻咄(つじばなし)をはじめたほぼ同じ頃に江戸では鹿野武左衛門が辻咄をはじめた。武左衛門については数冊の本が残っているばかりで、ほとんど史料はないので、作者は想像力を駆使して、「三枚起請」「花見の仇討(あだう)ち」「妾馬(めかうま)」「たらちね」「後生鰻(ごしょううなぎ)」「馬のす」などの古典落語のモチーフを盛り込み、同時代人であった井原西鶴や松尾芭蕉のエピソードなども織り交ぜながら、ストーリー巧みにページを手繰らせていく。
行間から情景が立ち上り、芝居を見ているようにおもしろい。芝居や浄瑠璃、俳諧が好きだった上方育ちの塗師の武左衛門が、とある事情で江戸に出て、浮世絵師の石川流宣(とものぶ)らの導きでプロの咄家になっていく。果ては贔屓(ひいき)の殿様も現れ、そこに5代将軍徳川綱吉の「生類憐(しょうるいあわ)れみの令」の治世も絡んで、話は意外な方向へ。
江戸でコレラが流行(はや)り、1万人以上もの死者が出、予防のためのデマが飛んだのだが、その出所がなんと武左衛門の書いた『鹿の巻筆(まきふで)』という本であることがわかり、武左衛門はあわれ伊豆大島に流されてしまったのである。
しかし、実は処罰の記録はあるのに、流人としての記録はない、さらに、流罪以降に著作の刊行された形跡があることなどの点から、作者は実に意表を突いたラストの展開へ持っていき、大団円へと結んでいる。
ネタばらしになるのでこれ以上の言及は避けるが、ストーリーテラーとしての作者の手腕は実に見事。「錦木検校(にしきぎけんぎょう)」という落語が重要な伏線になっている。




