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バシー海峡慰霊祭、日本兵の遺体を手篤く葬ってくれたのは台湾の人だった…「慟哭の海峡」で鎮魂の集い

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バシー海峡慰霊祭、日本兵の遺体を手篤く葬ってくれたのは台湾の人だった…「慟哭の海峡」で鎮魂の集い

2日、バシー海峡を望む台湾南部・恒春で、海に向かって祈りを捧げる慰霊祭の参加者(田中靖人撮影)

 潮音寺は、昭和56(1981)年8月19日、バシー海峡で九死に一生を得た元独立歩兵第13連隊通信兵、中嶋秀次(ひでじ)(平成25年、92歳で死去)の強い思いによって建立された。

 昭和19年8月、中嶋が乗船していた「玉津丸」と約30隻の船団はこの海域で米潜水艦の急襲に遭う。沈没までわずか5、6分。玉津丸に乗っていた仲間のほとんどがこのとき戦死した。

 中嶋の「地獄」はそこから始まる。何とか非常用のイカダにしがみついたが、非常用の水、食糧はわずかしかない。仲間が1人、2人と息絶えてゆく。「正気じゃなくなるんです。『水をくれ』と狂ったようにわめいていたかと思うと突然、静かになる。見に行くともう、死んでいた」

 漂流12日目の夕方、奇跡が起きた。すでに意識がもうろうとした中嶋は、水平線の向こうに友軍の船を見つける。玉津丸の約5千人のうち、助かったのは中嶋を含め、たった8人だけだった…。

 戦後、戦友の遺族を訪ねた中嶋は「せめて、わが子が逝った場所を見せたい」とバシー海峡が見える地に母親たちを連れて行った。海に向けて花を手向け、慟哭(どうこく)する遺族の姿を見て中嶋はこの地に慰霊施設の建立を決意する。簡単な仕事ではない。異境の地であり、すでに日本との国交は失われている。日本で旅行会社を経営し台湾を行き来する中嶋にとって、何よりも助けになったのは台湾の民間の人々の協力であった。

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