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1964年東京五輪、万感の一文 生きていてよかった 北川貞二郎

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1964年東京五輪、万感の一文 生きていてよかった 北川貞二郎

 たしかに、そこをあるいているのは、世界のあらゆるところから集まった青年たちであった。まぎれもなく、これは、オリンピックの入場行進であった。そしてここは、疑う余地もなく、日本の、神宮のフィールドである。オリンピックは、とうとう日本にきた。

 整然とし、圧倒的な若さの列が流れていく。みごとである。しかし、場内は静かだった。拍手もカン声も爆発しない。なぜなのか-ある外人記者がいった。「日本人はおとなしすぎる」

 だが、わたくしは手が動かない。声も出ない。ただ、息をのみ、目をこらして、このごうごうたる白、黒、黄の人の流れを、みつめるばかりである。昭和十五年の東京大会中止から、二十四年の悲願が、いま、目の前で現実となったのを、全身でたしかめるのに、せいいっぱいである。日本人のほとんどが、おなじように、しびれてしまっていたのかもしれない。だから、おとなしくみえたのかもしれない。

 “この日”を迎えるまで、われわれ日本人は、どれだけの風雪を越えてきたことか-。そして、このフィールドにも、どんなに悲壮な歴史が秘められていることか-。

 昭和十八年、第二次世界大戦の戦局急をつげた十一月のある日を思いだす。ほとんどの学生が、学業なかばで動員となった。戦争目的も理解しえないまま、わたくしも赤ダスキをかけた。明確であったのは「死なねばならぬ」ことだけである。世にもあわれな門出を、国民はここで、盛大に送ってくれた。それは、いま目の前をあるく日本の青年たちへの「メダルの期待」に数倍する期待であった。重苦しく、やりきれぬ“期待”をになって、わたくしは、角帽姿にゲートルをまき、銃をかついで、このフィールドを行進した。あのとき、わたくしのふんだ土のひとかけらぐらいは、いまの美しいアンツーカの底に、残っているにちがいない。

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