『写真で綴る北朝鮮帰国事業の記録 帰国者九万三千余名 最後の別れ』

書評

 ■国家的詐欺の証拠がここに

 利発そうな少女が同級生や教師に囲まれて撮った写真があった。新潟の定時制高校に通う18歳。北朝鮮へ行けば大学へ進学できる、将来は医者になりたい、と夢をふくらませて渡った地で、地獄のような暮らしが待っていようとは思いもしなかっただろう。北を訪問した親類が約30年ぶりに会った彼女は別人のように痩せこけ、目もうつろ、今にも生命の灯(ともしび)が消えてしまいそうな廃人になっていた。

 昭和34(1959)年12月14日、新潟港から第1船が出た北朝鮮への帰国事業では、「地上の楽園」「教育費も医療費もタダ」などというウソッパチの宣伝文句に誘われ、約9万3千人の在日朝鮮人、日本人配偶者や子供らが日本海を渡った。本書には新潟で帰国事業に関わった小島晴則氏(85)が出発前に撮った膨大な写真と貴重な資料が収録されている。

 日本一の美声と謳(うた)われたテナー歌手、永田絃次郎(げんじろう)(朝鮮名・金永吉(キム・ヨンギル))は35年1月、一家6人で帰国船に乗った。出発前に新潟での歓送会で歌う雄姿、帰国船のデッキから手を振る笑顔…新天地への思いがあふれんばかりだ。小島氏は「一家を撮影したとき日本人妻の民子さんだけが心残りな顔だった」と振り返る。

 帰国事業は北朝鮮の金日成(キム・イルソン)首相(当時)と朝鮮総連が主導した国家的詐欺だったが、日本政府も各政党も、メディアも、もろ手を挙げて賛成した。その「証拠」が本書の写真に残っている。

 運動を推進した政党は共産党や社会党(同)だけではない。何度も見送りに駆けつけた自民党の小泉純也衆院議員(同)は純一郎元首相の父親だ。『38度線の北』などの著書によって帰国者に大きな影響を与えた寺尾五郎氏はすらり長身で講演会には多くの聴衆が集まったという。ハンドマイク片手に熱弁を奮う有名女優、地元を挙げて大歓迎した市民、夢と希望できらきらと目を輝かせている帰国者の子供たち…当時の熱狂ぶりが伝わってくるようだ。

 北朝鮮で辛酸をなめた帰国者は約60年を経た今も苦しみの中にいる。忘れてはならない事実がここにある。(小島晴則編/高木書房・3500円+税)

 評・喜多由浩(文化部編集委員)