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インディ500を制覇した初めての日本人 佐藤琢磨は勝つための準備ができていた

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インディ500を制覇した初めての日本人 佐藤琢磨は勝つための準備ができていた

F1マシンの、目視するマシンに遅れて届いてきた轟音は、自宅のある東京に帰ってからも、翌日学校に行ってからも、まだ琢磨の耳のなかでこだましていた。

こうしてF1ドライバーに憧れる気持ちは彼の心にしっかりと根を下ろした。自動車誌やレース誌を読みふけったり、アイルトン・セナが操るマシンのイラストをスケッチブックに描いたりする日々がはじまった。ただし、モータースポーツに詳しい知人が周囲にいなかったこともあり、琢磨はF1ドライバーを目指すきっかけをつかめないまま高校、大学と進学していった。

鈴鹿サーキットでF1初入賞

それでも欠かさず読み続けていた自動車誌で、人生を変える記事を発見する。「SRS-Fという、鈴鹿サーキットが主催するレーシングスクールの特集記事でした。ちょうどそのとき、自分が年齢制限の上限だったこともあって、『これしかない!』という思いで応募しました」

書類審査で入校の合否が決められていた当時、実績のない琢磨は受験倍率10倍となった第3期入校説明会の質疑応答で、面接を嘆願。自らの提案とアタックで入学を認められた琢磨は首席でスクールを卒業する。そして、これを足がかりにF1への登竜門とされたイギリスのF3に挑戦し、わずか2年で日本人初のチャンピオンに輝くと、2002年にF1デビューを果たす。自動車メーカーやパトロンのようなスポンサーに頼ることなく、自力でF1のレギュラーシートを手に入れた日本人ドライバーは琢磨が史上初だった、といって間違いない。

2002年10月13日、鈴鹿サーキット。この地で、10歳のときにモータースポーツと出会い、20歳にしてレーシングカーを走らせるテクニックを学んだ青年は、25歳でF1ドライバーとなって日本グランプリの決勝当日を迎えた。所属するジョーダンのマシンと同じ黄色一色に染まった鈴鹿の観客席は、琢磨のマシンに合わせて賑わう場所が移動していったため、コースを見なくとも琢磨がどこを走っているかがすぐにわかるほどだった。そして非力なマシンを操りながらも初入賞。こうして琢磨は、「夢見る青年」から「人々に夢を与えるスター」へと生まれ変わったのである。

2004年にはアメリカGPで表彰台に上がったものの、財政難のため所属チームが2008年にF1から撤退することになった。琢磨は可能性を模索したが、F1復帰のチャンスを掴めないまま、北米を中心に開催されるインディカー・シリーズに活躍の場を移す決心をする。2010年のことだ。

ともすればF1グランプリより格下に見られることの多いインディカー・シリーズではあるけれど、琢磨は2009年に視察のために訪れたインディ500で、F1を初観戦したときと同様の衝撃を受ける。

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