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【桂歌丸さん死去】巧みな女性描写 落語と仲間愛した人生

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【桂歌丸さん死去】
巧みな女性描写 落語と仲間愛した人生

高座で落語「小間物屋政談」を口演する桂歌丸さん。平成29年8月以来、久しぶりの寄席復帰になった=4月 高座で落語「小間物屋政談」を口演する桂歌丸さん。平成29年8月以来、久しぶりの寄席復帰になった=4月

 女性の描き方が抜群にうまい落語家だった。そのしっとりした芸風は生い立ちと無縁ではない。生家は横浜の遊郭。幼い頃から遊女の所作を目にし、独特の話し方を耳にして育った。

 ラジオで聞いた落語にのめり込み、中学3年生のときに新作落語で知られる五代目古今亭今輔に入門した。ところが、古典志向の歌丸さんは破門状態となり、一時期は化粧品のセールスマンとして働いた。落語への未練は断ちがたく、三遊亭扇馬のとりなしで兄弟子の桂米丸の弟子となって復帰がかなった。

 長年にわたって人気テレビ番組「笑点」のメンバーを務めたが、人気におごることなく、「脇役こそが似合っている」と自任して、読書や歌舞伎観劇などで自分を深めながら、こつこつと埋もれていた噺を発掘、自分なりのアレンジを加えて口演してきた。「毛せん芝居」など歌丸さんでしか聞けない噺も多かった。

 こうした地道な努力を続け、落語家として本当に開花したのは60歳を過ぎてから。現代では演じる者の少なくなった三遊亭円朝作の「真景累ヶ淵」に取り組み始めたころからだ。絶妙の間と噛んで含めるような語り口、さらに独特の色香を発する所作で、円朝の世界を見事に描いてみせた。

 「笑点」では4代目三遊亭小円遊や6代目三遊亭円楽を相手にした罵倒合戦が有名だったが、その人柄の良さは万人の認めるところだった。楽屋での取材では周囲に気を使い、どんな質問にも丁寧に言葉を選びながら答えてくれた。

 平成16年には落語芸術協会の会長となり、18年に出版した自伝『極上 歌丸ばなし』にこう決意を記した。《噺を残すのも落語ファンを残すのも我われ噺家の責任です》

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