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【「西郷どん」交友録】西郷の人生を決定づけた島津斉彬 「三百諸侯一」の傑物 松平定知

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【「西郷どん」交友録】
西郷の人生を決定づけた島津斉彬 「三百諸侯一」の傑物 松平定知

NHK大河ドラマ「西郷どん」で、島津斉彬を演じる渡辺謙 NHK大河ドラマ「西郷どん」で、島津斉彬を演じる渡辺謙

 当時、武士人口の多かった薩摩藩では、下級武士の子息は一定の年齢がくると責任の余り伴わない仕事に就いて、その収入で家計を助ける慣習があった。(夕刊フジ)

 西郷隆盛は7人弟妹の長男。従って彼も16歳の時、働きに出た。藩の「郡方書役助」(こおりかたかきやくたすけ)という、藩の農政を扱う役所の事務補助といった仕事である。これは年貢の徴収のほか、道の整備や、橋を架けるなど、農地の拡大を計画・実践する部署である。

 彼の上司は迫田利済(としなり)といい、なかなかの人物だった。西郷はこの時代、彼の下で農政に対する多くのことを学び、その体験を下敷きに論文を書いた。その論文の1つが偶然にも、藩主である島津斉彬(なりあきら)の目に留まった。このことが、西郷の一生を決定づけることになる。

 さあ、島津斉彬とはどういう人物か。

 彼は聡明(そうめい)で気鋭で進取の精神に富み、藩主になる前から世間では「三百諸侯一」といわれた傑物であった。一般に、世子が20歳を超えたら藩主は家督を譲るのが通例だったが、斉彬が家督を譲られたときは、実に41歳となっていた。早い話が、父の斉興(なりおき)から疎まれていたのである。

 理由は2つ。1つは開明的な斉彬に、かつて藩財政を困窮させた祖父、重豪(しげひで)の姿がダブってみえた。もう1つは、斉興は正妻の周子(かねこ=斉彬の母)よりも、側室の由羅(ゆら=弟・久光の母)を愛していた。斉興は「次は弟(久光)」と思っていたのである。

 これはまずいと、斉彬待望派は、行動を起こす。側室暗殺計画、いわゆる「お由羅騒動」である。

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