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【追悼・ペギー葉山さん 】語るように歌い続けた65年 くちずさんだ「ファイト」の一節、介護と歌手業支えた

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【追悼・ペギー葉山さん 】
語るように歌い続けた65年 くちずさんだ「ファイト」の一節、介護と歌手業支えた

「デビューからの65年間は長い年月ですが、私にとっては、あっという間でした」と語っていたペギー葉山さん =2月20日 「デビューからの65年間は長い年月ですが、私にとっては、あっという間でした」と語っていたペギー葉山さん =2月20日

 ペギー葉山さんは戦後の音楽史を彩るように65年間のキャリアを歩んだ唯一無二の歌手だった。最後に取材したのは今年2月20日。「『セリフは歌え、歌は語れ』という芸の神髄がようやく分かるようになってきたわ」。笑顔で語った言葉には、ジャズやミュージカルなど幅広いジャンルで活躍し、生涯現役を貫いた自負がにじみ出ていた。

 東京で生まれ育ったペギーさんは戦時中の小学5年生のとき、親元を離れ福島へ学童疎開。6年生で終戦を迎えた。高校時代にジャズ歌手として活動を始め、米軍クラブなどで経験を積んだ。「終戦後は、日本にいろんな音楽があふれていた。最初に歌った米国のジャズは『ペギー葉山』の原点を作ってくれたと思う」と振り返っていた。

 昭和27年に「ドミノ/火の接吻(せっぷん)」でレコードデビューし、2年後に紅白歌合戦に出場した。転機は33年。テレビ番組サイドから民謡調の曲「南国土佐を後にして」の歌唱を依頼された。戦時中、高知県出身者らによる通称「鯨(くじら)部隊」が遠く離れた戦地で故郷をしのんで口ずさんだ愛唱歌が原曲とされる曲。当時はジャズ・ポピュラー歌手として知られており、最初は「渋々、歌った」。だが、反響は大きく、「望郷の歌」として大ヒットした。

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